このブログは移転しました。
ブログ自体は
気になってならない」で
更新をつづけております。

2006年10月31日

南京錠はカギではないよ

「愛の鍵モニュメント」というものが神戸の諏訪山ビーナステラスという展望台にあるそうです。ここをおとずれたアナウンサーとタレントが、まあ、たくさんのカギ、などといっておりました。うつしだされたのは、南京錠が無数にぶらさげられている光景でした。

カギといっていますが南京錠なのです。カギがぶるさがっているわけではありません。

ここに南京錠をとりつけると願いがかなうとされているそうです。


錠のことをカギというかた、多いですね。

ロックすることを、錠をおろす、とも、カギをかける、とも、いいますので、まぎれてしまうのでしょうか。

ドアについている錠前をロックすることをカギをかける、といい、南京錠のような錠前をとりつけることを錠をおろすというのだと思います。カギという道具を使うか使わないかで使いわけるのでしょう。

かけがね(掛け金)は、そなえつけられているものを使用するので、錠をおろすでもカギをかけるでもなく、かけがねをおろす、といわれます。かんぬきは、かう、ひく、とおす、などといいますね。自動ロックドアの場合はカギをかけるわけでも錠をおろすわけでもありませんので、なんといえばいいのでしょう。普通は、ロックする、でしょうね。


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2006年10月30日

とどまるところをしりません

「オリ(ママ)もおされぬ世界の一流アーティストとして、その人気はとどまることを知らず」

テレビ番組のナレーションです。でだしの「おり」は録音していたものを何度きいても「おし」にはきこえませんでした。「おし」であっても、「おしもおされぬ」がおかしいのですが、今回は、うしろの方をとりあげます。

「とどまることをしりません」といういいかたがテレビ・ラジオで聞かれますし、新聞・雑誌にもみられます。なかには「とまることをしりません」というものもありました。もちろん、「とどまるところをしりません」のいいまちがいなのですが、せんだって、あたらしいタイプのことばにであいました。

「とどまる勢いを知らない『やわらか戦車』」というものです。聞くのははじめてです。書いたかたは、どこかでこういう表現をご覧になっていたのでしょうかね。

とどまるためには、逆に、いきおいをころすことが必要ですよ。それこそ、いきおいで書いてしまったのでしょうね。


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2006年10月29日

長さと高さと幅のある長方形

紙のうえなどに描く三角や円、それらは2次元の世界のもので、高さがくわわると立体となり3次元。4次元は時間軸がくわわるのだとされていますが、われわれ3次元の世界の人間にはみることができません。


「石は長さ約50センチ、高さと幅約30センチの長方形」

朝日新聞記者にしてはお粗末ですね。2次元と3次元を混同してしまっております。

まだありますよ。

「8分間で小さな正方形のハンバーガーをできるだけ多く平らげる」

「早食い王子」とよばれている小林尊氏が日本時間で29日に挑戦する早食い大会の記事にあった文です。小林氏は印刷されたハンバーガーを食べるのでしょうか。AP電の翻訳ですから翻訳者がお粗末だったのでしょう。



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2006年10月28日

あります おります

ひとがいるとき、「おります」とはいいますが、「あります」とはいいません。「あります」はひとをモノあつかいしているようです。

「警備員がありますし、検査機もあります」(ニュース番組から)

逆に、モノについては「あります」だけではなく、「おります」を使用することもあります。

「ボールペンは机のうえにあります」

これには違和感はありません。

「ボールペンは机のうえにおります」

ボールペンが意思をもって活動するといったようなアニメーション映画などですといいのですが、普通のボールペンですと、落ちつきません。

「台風6号は、ただいま、土佐湾にあります」
「新幹線のぞみ13号は、ただいま○○にあります」

どちらもニュース番組で聞いたものです。モノなので「あります」でいいのでしょうが、「おります」でも違和感はありません。どうしてでしょうか。

動いているということが違和感のない理由のような気がします。アニメーション映画のなかのボールペンも動いています。

ひとについては「おります」「います」でいいとして、「おります」を使用しても違和感のないモノは、それが動いているもの、と考えると、違和感のあるのは静止しているもの、みずからが動くものではないもの、となります。

アナウンサーの柴田秀一さんは、あるニュースの報道で原稿を読みながら「けが人はありませんでした」と言い、顔をあげて「けが人はいませんでした」と言いなおしたことがありました。ひとに対して「ある・ない」はおかしいと思ったのでしょう。原稿を書くひとにはことばを正確に使っていただきたいものです。


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2006年10月27日

A被告(25)=事件当時(18)=

「もと少年は」「もと少年が」とラジオからNHKニュースの「もと少年」ということばが連続して聞こえてきました。数えていたわけではありませんので印象になりますが、短いニュースなのに 6、7回も聞かされたように思います。もと少年なら、いま青年か壮年か老年か、と、つっこみたくなりました。あんなにも「もと少年」が連発されているのを聞くと異様に思えてきます。

少年時代に罪をおかし、その裁判が継続していたのです。少年は、法律にいう少年ではなくなったのですが、少年法にまもられているために名前をふせなければならなかったのです。それで「もと少年」の連発ということになったのだとおもいます。

普通ですと、姓に被告という語をつけて言われるところです。姓がつかえないのなら、単に、被告でもいいと思うのですがね。もと少年は「被告」ではないのでしょうか。

疑問を感じたら、すぐに、しらべましょう。共同通信社の「記者ハンドブック」にあたってみました。これによりますと、
犯罪発生時に少年だった者は、その後、逮捕、送検、起訴、裁判などの際、成年に達していても原則として匿名。
[例] ◯◯事件で殺人罪にとわれたA被告(25)=事件当時(18)=の判決公判が…
となっています。

ラジオの場合は「A被告」というわけにはいかないでしょうが、「もと少年」の連発はいただけません。


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2006年10月26日

ドラマとテレビドラマ

一スジ、二ヌケ、三……(わすれた エンギだったかな? 役者のことだったと思うのですが)ということを言っていたのはマキノ省三監督でした。スジというのはストーリー、ヌケはフィルムの仕あがりのこと、です。映画にはストーリーが一番大切だといっているのです。山あり谷ありのストーリーと葛藤、登場人物がひとをひきつけるように描かれていなければならない、ということをいっています。

新藤兼人監督の著作には、書いた脚本にドラマがない、とか、ドラマが書けてない、と言われたことが記述されています。発奮し、『近代劇全集』を読んでドラマツルギーを勉強したということです。

これを読んで、古本屋でみつけた『近代劇全集』を、2巻ほどぬけていましたが、学生時代に買いました。随分ふるいはなしです。全部で30数巻のハードカバーのものです。これがびっくりするほど軽いのです。両手にぶらさげて徒歩で家までもってかえりました。いまの本もあのようにかるい紙に印刷してくれればうれしいのですがね。

「ドラマ」というのは演劇や映画、それらの台本・脚本のことで、普通はドキュメンタリーでない映画、劇映画をさすことが多いようです。

先日、産経の iza! で
約220万部の超ミリオンセラーとなったタレント、島田洋七(56)の自伝的小説『佐賀のがばいばあちゃん』が、映画からドラマへ、とブームを広げそうだ。
(──iza!──〈「がばいばあちゃん」映画→TVドラマで涙のブーム〉)
という記事をみました。

ここでは、「ドラマ」というのは「テレビドラマ」のことになっています。ラジオドラマや映画や演劇、しばいは「ドラマ」ではないのですね。なお、新明解国語辞典では「狭義では、映画や演劇と違って、テレビ・ラジオで放送される物語世界を指す」としています。

「ドラマ」が「テレビドラマ」に限定されている この現象が世間一般のものなのかどうか、知りたいと思っています。


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2006年10月25日

主語と述語の距離

「明日はADSLで価格破壊を起こした我々が,いよいよ携帯電話の料金に挑戦する」(http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20061023/251572/)

記事のでだしです。あたまから読んでいると、とまどわせられます。わたしが敏感すぎるのかもしれません。「明日は」で始まったのにもかかわらず、「起こした」と過去形がでてきて、最初の読点につづいています。「明日」が主語なら「挑戦する」は述語にはなりませんが、「明日」が「我々」とともに「挑戦する」にかかっていることが、ひとつの文をよみおえてから、わかります。離れすぎているのです。「明日」はこの文の主語ではないにもかかわらず「は」でうけていることがまずいのでしょうね。「明日」を主語にするなら「挑戦する日です」でしめなければ落ちつきません。「ADSLで価格破壊を起こした我々が、明日、いよいよ携帯電話の料金に挑戦する」と順序をいれかえた方がわかりやすいですね。

「わたしは」ではじまった文が、あいだにはさまる文のために、わかりにくくなっているケースに頻繁にであいます。「わたしは、いまの環境でこのまま進んでゆけば、われわれのおかれた状況はきわめて厳しいものになるのであります。わたしは、担当部署が提出したこの文書によりますと、○○と判断しているようですが、その根拠が○○だという、この○○なるものがわれわれの調査によりますと、○○が脱落しているために○○○○○○、このような対策でいいものとお考えなのか。また、わたしは、○○○○」。はなはだしきは述語がきえてしまっていることもあります。「わたしは」をおもてにだす、自己主張のつよい性格によるとばかりはいえないでしょう。

すきあった男女とおなじで、主語と述語は ちかい方がよろしいようです。きずながつよいことが わかりやすくなります。


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2006年10月24日

二度あることは三度ある

ことわざの意味をまちがっておぼえてしまっていることが、ときどき、わらいばなしになります。

「なさけ は ひと の ため ならず」を、なさけをかけることは そのひとにためには ならない、と解釈していることも そのひとつです。へたに漢字をつかって「情けは人のためならず」と書いてしまうのも、解釈まちがいの理由かもしれません。日本語の「ひと」には、「人」と「他人」の意味があるのですから。

これもまた、そのひとつです。

たとえば、1、2、3を小の目とし、4、5、6を大の目として、サイコロを1個ふり、その目が小か大かをあてるゲームをしているとします。

1回目、大といい、ふってみると大でした。
2回目、大といい、ふってみるとまた大でした。
3回目、「三度目の正直というから大」といいました。

こういう場合に「三度目の正直」をつかっているのです。

こういうひとが「二度あることは三度ある」をつかうのは、どういうときなのでしょうかね。


1回目、大といい、ふってみると小でした。
2回目、大といい、ふってみるとまた小でした。
3回目、「三度目の正直というから大」といいました。

こちらが本来の「三度目の正直」ですね。


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2006年10月23日

当確

きのうは選挙の投開票が神奈川県、大阪府、栗東市でおこなわれました。いつも奇妙に思うのが「当選が確実になりました」「◯◯さんが当選確実となりました」というアナウンサーのことばです。「当確をうつ」といういいかたがされるように、「当確になる」わけではないのです。

例によって ふるいラジオつきウォークマンで聞いていた昨夜のNHKテレビの開票速報番組では「(これこれこういう理由で)NHKでは、当選が確実になりました」という説明をしておりました。言うなら「NHKでは、当選を確実としました」でしょう。NHKでは確実になった、○○ではまだなってない、という状況もあります。これは、事実ではないからなのであって、事実としては「当選した」「落選した」しかありません。過程では推測でしかないのです。だれが推測したのかを曖昧にしています。

あくまでも、報道がわで まちがいなく当選するだろうと判断した、ということですから、「なった」ではなくて「した」が正確です。

これも主体を曖昧にしている例ですね。


ついでにいえば、報道の「千票ちかくまで せまられましたが、かろうじて にげきりました」というのも正確ではありません。進行中のレースではないのだから、開票途中の得票数は関係ないのです。投票はおわっており、開票中にはわかっていないけれども、結果は、すでに、でているのですから。


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2006年10月22日

台風に意思はない

だれが(なにが)なにをするのか、これが曖昧なために読みにくい、わかりにくい文章になっていることがあります。意識してそのように操作していることもあるのではないでしょうか。その文章を引用すればいいのでしょうが、通常は長い文章ですし、引用しますと引用元を明記しなければなりません。いい引用ならいいのですが、悪文の引用となりますと、その文章の書き手が、攻撃されている、とうけとめることがあり、癪なので、原則として長きにわたる引用はしないことにしていますので、わかりにくいところがあることは理解できるのですが、あしからず、ご容赦を。


《海面の温度が低いところにくると、台風は力を弱めます。》

台風情報で聞いた文です。

つまらずに読める曖昧な文です。意味はわかります。わかりにくくはありませんが、なにが主体か、どこに責任があるのかを曖昧にするためには、こういった書きかたが有効です。

擬人化という手法がありますが、台風がその力を弱めるわけではありません。弱められるのです。「台風は力を弱められます」「台風の力は弱まります」などの方がすっきりします。

ことばをいい加減につかっていると、思考もいい加減になるのではないでしょうか。源泉徴収されるので税金を支払っているという意識が希薄になり税金の使途に無頓着になってしまっているのも、ことばとはちがいますが、曖昧さが考えかたに影響をあたえているのだと思います。消費税にしても、外税が内税になることにより、税金を支払っているという意識が希薄になってしまっているのも同様のことでしょう。

日本語は哲学にむかない、といわれています。厳密な記述にはむかないという意味です。たしかに、日本語は曖昧なつかいかたのできることばです。しかし、厳密にも記述できることばです。ことばを厳密につかうことがいきわたれば、論理のはっきりしない文章を読ませられることも少なくなります。また、だまされることもなくなると思います。


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2006年10月21日

ひげ

俳優の藤岡琢也さんが亡くなりました。NHKの「事件記者」で途中からレギュラーになり、出演シーンでは場をかっさらっていましたね。くちひげと関西ことばが印象的でした。べらんめえ口調のセリフでも関西ことばが抜けきらず、姫路のひとだからしかたがないか、と思ったものです。

死去を報じるメディアで藤岡琢也のヒゲにふれていたものは、わたしの見た範囲では、すくのうございました。それらはすべて「ちょびひげ」とよんでおりました。
・チョビヒゲに(MBS)
・眼鏡にチョビひげ、ちょっと粋がった善人という役どころで愛され(asahi.com)
・NHKドラマ「事件記者」のチョビヒゲ記者役でデビュー(JNN)(デビューではないのですがね)

チョビヒゲというのはくちひげの一種で、鼻下にはやしている、チャプリンのヒゲ、ヒトラーのヒゲ、カトちゃんペッのヒゲのことです。ヒゲは漢字ではその場所ごとに髭、髯、鬚と書きわけていますが、そんな文字をおぼえる必要はないでしょう。くちひげ、あごひげ、ほおひげ、という日本語をつかえばいいのです。

メディアで原稿を書く人間がものごとを知らないというのはこまったものです。


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2006年10月20日

チカン

きのうの朝、ラジオで「朝ズバ!」を聞いていました。V波の1から12チャネルのすべての音が聞けるラジオは少ないので、いまだに、時代もののラジオつきウォークマンを使用しています。デジタル放送になれば、テレビの音声のきけるラジオは販売されるのでしょうかねえ。

それはさておき、そのとき、出産後に脳内出血で亡くなった女性のニュースを放送していました。コメントで「チカン」という女性の声が聞かれました。どうやら「弛緩」のことのようでした。

この女性をサイトでさがしました。アンカーマンのところに月曜日担当として木元教子の文字がありましたので、多分このひとだと思われます。TBSのアナウンサーから解説員にでもなったのでしょうか。

女性に「アンカーマン」はおかしいですね。anchorman や anchorwoman という英語がありますが、anchor だけでもいいのですから「アンカー」でいいでしょう。けれども、番組での役割からいって、アンカーはおかしいですね。コメンテーターでしょう。

この女性、そのあとの、おなじニュースのくりかえしのときのコメントでは「シカン」とただしく言っておりました。どなたかから指摘があり修正したものでしょう。おそらく柴田秀一キャスターがただしてあげたのだと推測しています。柴田アナはことばに対して敏感に反応するひとですからね。反応しすぎのこともあって、放送内で言ってしまったりすることもあるくらいです。

このように、みぢかに親切なひとがいて、指摘してもらえるのは うらやましいことです。ただ、指摘されると気分を害して、あからさまにイヤな表情をうかべるひとがいます。親切なひとが指摘することをやめてしまわないよう、せめて表面上だけでも感謝の表情をうかべましょう。


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2006年10月19日

コミュニケーションの基本は聞いてわかること

文字がなかった時代、コミュニケーションは もっぱらコトバでした。はなしことば といった方がよいでしょう。きくだけで意味が わかったのです。コミュニケーションは こえの とどく範囲にかぎられておりました。

中国から文字が輸入されました。中国は進んだ文化を持って居ました。中国の言葉を学んで身に付ける事に依って進んだ文化を吸収出来ました。中国の文字を知る事は偉い事だったのです。文字の御蔭で記録が残る様に成りました。遠い所に届ける事が出来る様に成りました。

中国の文字を利用して日本人の言葉を、其の音を表そうと工夫しました。萬葉仮名です。萬葉仮名と云っても決まった様式が在った訳では有りません。難波旧遺跡で発見された木簡に在った文字「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」は「はるくさのはじめのとし」と解読されました。「はるくさの」は枕詞だそうです。之と皆さん御存知の「伊呂波」とには差異が在ります。「波」と「皮」はいずれも「は」です。萬葉仮名では使われている文字は一定では有りませんでした。

万葉のむかしから、漢字のもつ意味を意識して文字をえらび、万葉かなで記載したものもあったようです。文字だけを、意味を無視して、かりてきたはずが、漢字をしっていることは学のあるあかしでもありましたから、日本のことばにあう意味をもつ漢字を使用する衒学的なひとがいたのです。訓よみのはしりですね。混乱のもとでもあります。

文字を使用すれば、のこせます し、とおく に おくる ことが できますし、みみ の きこえ ない ひと や しゃべられない ひと でも コミュニケーションが とれる ように なりました。

反面、これまではコミュニケーションをとるのに問題のなかった、目の みえない ひとが こまること に なりました。それまでは、聴覚に問題の ある ひとは、表情や くちびる の うごき から、なんとかコミュニケーションは とれて いました し、しゃべられない ひと でも、きく こと だけは できて いた のです。マルクス兄弟の映画では、ハーポは一切しゃべりませんが、いいたい ことをチコが よみとって くれて いました。よみとったチコが、こういうことか、と聞くのに対して、クビを上下にふれば、それがいいたいことだと理解できます。むかしの NHK-TV の「ジェスチャー」のようなものです。イエス・ノーが つたえ られれば、コミュニケーションは なりたちます。

録音機の発明により、しゃべったことを残すことができるようになり、電話の発明により、遠くまで伝えることができるようになりました。ラジオの発明により、多くのひとに一斉につたえることもできるようになりました。録音とラジオ(電波)により、印刷物を物理的に届けるということが必要でなくなり、時間と空間をこえたコミュニケーションがとれるようになったのです。

視覚にさしつかえがあるひとにはテレビがこまりものです。音だけではわからないからです。そのために、昔のラジオがやっていたような音声による状況説明を副音声でするようになりました。

いま、カタカナ語の氾濫がとやかくいわれております。明治以降、西欧のすすんだ文化をとりいれることに一所懸命になりました。オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語などのできるひとは、すすんだ文化にふれていることから、尊敬されるようになりました。むかしむかしの、中国語ができるひとと同様の状態になったわけです。カタカナ語が氾濫するわけです。ローマ字が日本語のなかにとりこまれるようになりました。いまは まだ、WHO とか NHK とかいった省略語だけですが、そのうち西欧の言葉が そのまま はいりこんでくることでしょう。

ベートーベンをベートーヴェンと記述していいことになりました。そのむかしは いざしらず、Vのおとは現代日本語にはありませんでした。ほとんどのひとはBの発音をしていますが、Vのおとを発するひともいます。Vといえば、以前にタイのひとと話していたとき、ウォーウォというのがなになのかがわかりませんでした。VOLVOでした。日本人は英語のよみかたに毒されてしまっていたのでした。FUJIYAMA といいますが、FUではなく、HUと発音しています。一部のアナウンサーはファウルやフェアーをFで発音しています。文科省はVやFのおとを日本語に持ちこみたかったのでしょうか。日本語の発音も変化してゆくことでしょう。

パソコンからでてくるからといって、書けない漢字をつかっています。書けなくても読めればいいともいわれています。漢字制限により、おしえられていなければ 古典が読めないではないか といわれています。古典にはふるい漢字だけではなく、いまは使用せられなくなってしまった やまとことば がふんだんに出現します。それらの意味を知っていなければ読んだことにはなりません。ふるい漢字は字体もいまとは ことなります。それをおいかけてゆけば、康熙字典にあたらなければならなくなります。

また、日本の伝統文化ということをいうのでしたら、難波旧遺跡で発見された木簡にあった「皮留久佐乃皮斯米之刀斯」という文字もすらすらと読めなくてはなりません。

そんな馬鹿なことはありません。専門家にまかせればいいのです。外国の文献をよむのに、翻訳家のお世話になるのとおなじことです。

外国のコトバをとりいれて 先人が くふうし 発達させてきた日本語の伝統にのっとり、ふるき よき 日本語とペダンティックにならない範囲での漢字や英語などの外国文字や語をとりいれて、うまく調和させてゆくのが現実的ではないでしょうか。コミュニケーションの基本は聞いてわかること──これを念頭において、耳できいて理解できることばづかいをこころがけ、へたな同音異義語を新規につくりだすことをやめ、同音異義語のかわりに やまとことば風の造語をし、辞書のおくに埋もれているような画数のおおい漢字や、よめない漢字の使用を抑制し、一部やまとことばの復活をしてゆけば、日本語を学習する外国人ばかりでなく、日本人にとっても学びやすいコトバになるのではないでしょうか。


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2006年10月18日

親子丼はオヤコドンブリと読まれます。
天丼はテンドンです。
話題になった豚丼はブタドン、トンドン、両方です。

丼という字はドンブリであってドンではありません。

天丼は、テンプラ-ドンブリが略されたものです。ですから、テンドンは天丼ではありません。

親子丼をオヤコドンと略すことがあります。

カツ丼をカツドンブリといっているのを聞いたことはありません。これはトンカツ丼の省略形でしょう。

丼ぶり


おやおや、とうとう丼がドンになってしまいました。「丼ぶり」ではドンブリブリになってしまい、いまにも体内からミがでてきそうです。たべもの屋にはふさわしくありませぬ。



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2006年10月17日

気色悪いあいづち

聞いて気もちの悪いあいづちのひとつに「なるほどですね」というコトバがあります。いろんなところで、いろいろな場面で、いろんな職業のひとがこのコトバをつかっておりますので、かなり以前から使われていたものだと思います。

「なるほど」では、えらそうにしていると とられるのではないか、というところから「ですね」をつけ、丁寧にしたつもりなのでしょうが、わたしがこのあいづちを聞くと、そのひとの評価はさがります。

あいづちの語彙をもっていないのでしょうね。

(きょうは寝坊してしまったので短いものになりました。勘弁ね)


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2006年10月16日

土嚢ブクロ

「土嚢ブクロがおかれていた」というナレーションのあったニュースがおわって、番組のキャスターが「土嚢というのはもともとフクロなんで、土嚢ブクロというのは変です」と発言しました。たしかに、土嚢というのは土をいれたフクロのことですから、土嚢ブクロというのは重複表現です。

このニュースの場合は、フクロに土をいれていたわけではなく、はいっていたのはコンクリート片や軍手なのですから土嚢とはいえません。かといってフクロとだけ言ったのでは どんなフクロなのかがわかりません。

あのフクロのことは、むかしであればドンゴロスのフクロといえばよかったのでしょうが、いまは亜麻で織ったフクロ、ドンゴロスのフクロはあまりみかけません、ほとんどが青色か白色の樹脂のフクロです。

ネットでさがしてみましたら、「土嚢袋」が販売されておりました。「土嚢」をつくるのに使用するフクロという感覚です。また、土嚢そのものも売られておりました。土がはいっているのではなく、防水性ポリマーがはいっており、水をふくむと数分のうちにふくれあがるダッシュバッグというものです。フクロだけではないのです。おまけに、土がはいっているのではないのです。それでも土嚢です。

水どめ用資材を「土嚢」とよんでいる状況がわかってきました。「土嚢」の概念をかえるか、普通名称を(商標ではなく)考えるか、どちらかでしょうが、「土嚢」の意味変化の方が簡単ですね。実際、土嚢の役目をするものを「土嚢」と称している現状ですから。

ラムネのビンにはいっているもの以外の色のついていない炭酸飲料をサイダーといい、味と色のついた炭酸のはいっていない飲料をジュースといっているようなものでしょう。


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2006年10月15日

てづな

風呂からあがって髪をかわかしつつテレビをつけたら、耳にとびこんできたのは「サンエマブタ」というコトバでした。

えっと思って画面をみると、しゃべることを商売にしているひとでした。サンエマブタというのは「三重まぶた」のことでした。三重県は「サンエ県」かよ、二重まぶたは「ニエまぶた」かよ、とつっこみたくもなろうというものです。

コトバを知らないひとの仕事がしゃべることだというのは こまりものです。メディアにのると一挙に拡散しますからね。

いまは日本を代表する政治家になったご仁は、かつて、「てづなをゆるめてはだめ」と発言しておりました。手綱をテヅナとおっしゃっていたのです。聞いておぼえたコトバではなく、ルビのない文字をみておぼえたのでしょう。

旧中山道を「イチニチジュウやまみち」と読んだといわれたアナウンサーは、実は「キュウ チュウサンドウ」と読んだのであって、「イチニチジュウ……」と読んだのは別の女子アナだったそうですが、中山道を知らなかったことには かわりはありません。

仁川という姓のひとに「にがわ」さんと呼びかけた青年がおりました。最近のわかいやつはコトバを知らんといわれました。その青年は、「仁川」と書いて「にがわ」と読む駅が大学通学のもよりの駅だったそうです。

日本語は漢字のよみかたがむずかしいのですから、ものごとを知ること、コトバを知ることは欠かせません。やさしい漢字ほど読めないものが多いのです。ひとは死ぬまで恥のかきつづけです。



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ニックネーム torokko at 08:14| ことば

2006年10月14日

9+4=13

サツマイモのおいしい季節です。サツマイモは十三里ともよばれます。スルメをアタリメというような験かつぎ(げんかつぎ)ではありません。「クリよりうまい……」で十三里だというのです。つまり、「九里・四里よりうまい……」で十三里だということです。

それで、昨日はサツマイモの旬である10月の、十三里の13がつく13日なので「サツマイモの日」とされているのです。

しかし、これでは「クリ・より」とおなじです。9+4=13ですから。

このことば、つづきがあるのですね。「クリよりうまい十三里半」。つまり、半里だけうわまわっているわけです。

七五でないから調子が悪いと感じたので「……十三里」でとめてしまったのでしょうか。けれども、短歌の下の句とおなじで七七なのです。



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ニックネーム torokko at 08:48| ことば

2006年10月13日

つりあげる

テーブルに鞄をぶらさげるS字形のプラスティックや、壁にねじこんだり、冷蔵庫の扉にはりつけたり、磁石や吸盤でとりつけたりする ぶらさげ用の器具が売られています。それらには、どれだけの重量のものをぶらさげてもいいかが表示されています。「吊り下げ荷重」と書かれていることが多いようです。


「このクレーンは千トンのものをつりさげられるんです」

ラジオのレポーターが巨大クレーンを紹介したときの発言です。

さきのヒートンのようなものとは ことなり、ものがクレーンですから、「つりさげられるんです」というよりも、「つりあげられるんです」といった方がおさまりがいいですね。


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ニックネーム torokko at 08:19| ことば

2006年10月12日

おつけいたしましょうか

尾鷲のコンビニでサンドイッチと野菜ジュースを買ったときのことです。

「おしぼり おつけされますか」
とたずねられました。
「わたしが つけるわけじゃないよ」
と言いましたら、
「おしぼり おつけします」
と言いなおし、つづけて
「すみません」
謝ることないじゃない。

「おしぼり おつけいたしましょうか」と言ってくれていたら謝ることなんかなかったのに。

わたしがこわい顔をしていたのかな。

これもマニュアルに載っているのでしょうか。

「おつけされますか」という敬語のつかいかたはないですね。言うなら「おつけなさいますか」ですが、シチュエーションからいって、これも変ですね。


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ニックネーム torokko at 07:33| ことば

2006年10月11日

かならず〜しない

「うちの母は、かならず、マヨネーズを冷蔵庫にいれないんです」

宿のテレビをつけっぱなしにしてキーをたたいておりましたら、このことばが聞こえてきて、おもわずテレビの画面に顔をむけました。著名なタレントが喋っておりました。「テーブルに出しっぱなしなんです」とつづけておりました。

違和感がありました。「かならず 冷蔵庫にいれない」というのは聞きなれない言いかたです。すわりのわるい表現です。「かならず」につづくコトバは「する」でないと おちつきません。

かならず〜しない、という言いかたを考えてみました。

「雨がふると、かならず外出しない」
「12時前には かならず寝ない」
「8時までは かならず起きない」
「かならず遅刻しない」
「宿酔でもかならず休まない」

どうにも おちつきません。

いく冊かの辞書にあたってみましたが、「かならず」のあとに否定表現はこない、とは書かれておりませんでした。


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ニックネーム torokko at 07:54| ことば

2006年10月10日

〜になります

「こちらコーヒーになります」
というウェイター、ウェイトレスが多いですね。
「いつコーヒーになるんですか」
とつっこむところです。

喫茶店やレストランなどには、めったに、はいらないので、その機会にめぐまれなかったのですが、いつか言ってやろうと思っていたその機会がおとずれてきました。

中華料理店でした。にいちゃんが、おおきな器をもってきて、となりの客に
「チャンポンになります」
といっていた声を聞いたときです。途端にむくむくと頭をもたげてきた いたずらっ気。

待つことしばし、ようやく、わたしの順番がきたようです。いまか、いまか、とはやる心をおさえながら見ていますと、運んできた にいちゃんは、
「こちら、皿うどんになってます」
ときた。小癪な。

つぎの機会は、まだ、おとずれてきません。


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ニックネーム torokko at 08:48| ことば

2006年10月09日

おつりくださいよ

買い物をしたときなど、店員のいいまちがいを ただしてさしあげることがあります。わけわかめな(わけがわからない、という意味だそうです)店員もいますが、すなおに聞いてくれる若いアルバイトも多いのです。


道の駅 ・紀伊長島マンボウの売店のキャシアーでの経験です。

780円の買い物に千円札をだしました。
店員「千円頂戴します」
わたし「千円頂戴されたらこまるよ。おつりくださいよ」
へっ? という表情をうかべた若い女性の店員に、かさねて、
わたし「コトバのつかいかたがまちがっているよ、という意味。ただしくは どういうか、知ってる?」
店員「千円おあずかりします」

知っているのにつかわない。なぜでしょうかねえ。マニュアルのせいでしょうか。


マニュアルにのってんの? と聞いたことが何度かあります。ほかの店で(つかっているのを)聞いたから、という返事があったこともありました。そのとき、マニュアルを遵守しなくてもいいのか、という質問をしなかったことが くやまれます。


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ニックネーム torokko at 08:04| ことば

2006年10月08日

とおりイッペントウ

「大島さんは とおりイッペントウなひとじゃないんですね」

きのうとおなじ映画監督の発言にありました。

漢字でどう書くかを知っていれば、こういうまちがいはしなかったでしょう。とおりいっぺんは「とおり一遍」「通り一遍」ですから、「一辺倒」とは文字がことなります。

記憶ちがいなのでしょうねえ。「とおりイッペントウ」で憶えこんでしまっているのでしょう。

言いまちがいを正してくれるひとは まずいません。ましてや、撮影現場のトップである監督には言えないでしょう。

そのコトバを知らないひとが聞いたら、まねして、そのコトバをつかうことが考えられます。まちがいが浸透してゆき、まちがいだと指摘されたときには「コトバは生きているのだから」といういいわけのもと、ますます浸透してゆくという事態もおこります。

まちがいの浸透をふせぐためには、はやめに ただしてさしあげることが有効だと思います。けれども、実際には、関係に 気まずさ を持ちこみたくない、という こころがはたらいて、指摘はしづらいのでしょうね。

みのもんたは、自身のいいまちがいはさしおいて、番組にゲストで出演している政治家らに、自身が言いなおした復唱をすることで、あるいはずけずけと、言っているようですがね。→ 〈どうした? みのもんた〉 と 〈みのもんたのカワニク〉
ニックネーム torokko at 07:35| ことば

2006年10月07日

なめあげる

照明係に採用されたときに、ある大物映画監督にはじめて会い、その場で「なめあげるように見られた」と、映画賞も受賞した さる映画監督が、NHKのラジオ番組で思い出をかたっていました。

「なめあげるように見られた」というコトバからは、いまにも触れそうなほど顔をちかづけられて、足もとからヒザ、コシ、ムネ、カタ、カオと次第に顔があがってゆく状況がイメージされて、なにか気色のわるさを感じます。

「ねめあげる」の記憶ちがいなのでしょう。「ねめあげる」が「なめあげる」になっているのをたまに聞くことがあります。

「ねめる」は「にらむ」という意味で、「ねめあげる」になると、こいつはどれだけの人物だろうかと値踏みをしている状態になりますね。

にらみながら周辺を見る「ねめまわす」が「なめまわす」となりますと、さすがに、こいつはおかしいぞと思うでしょうが、「なめあげるようにして見る」となりますと、気づきにくいものなのでしょう。

「なめる」というのはカメラマンの業界用語で前景をいれることで、前景に人物の肩をいれて そのむこうにある床の間を撮影するショットを「肩なめで床の間」といいます。「なめあげるように見られた」と言ったひとが映画監督だけに、カメラマン用語の「なめる」を想起させられますが、やはりヘンです。「右から左になめてくれ」という具合に、パンニング、パンをすることを「なめる」と言っているのを聞いたことがありますので、もしかしたら、こちらからの発想かもしれません。この場合はティルトになりますがね。
ニックネーム torokko at 08:19| ことば

2006年10月06日

誤解されない書きかた

まず、──mainichi-msn──〈「通信の秘密」は今〉をおよみください。

つぎに──livedoor NEWS──〈毎日編集委員の「モナ不倫記事」 ネット上で失笑買う〉をおよみください。

内容についての論評はいたしません。ことに後段の部分が飛躍していて わかりにくいこともあります。

スキャンダル週刊誌があのふたりの写真をとることができたのは偶然のようです。ヤマモトという名のタレントの妻をもつM.K.なるタレントと密会するだろうという情報があったのでモナを追いかけていたところ、あらわれたのが国会議員であったというのがどうやら真相らしい。メールがどうこうというストーリーではないようです。

それはさておき、牧太郎氏の文章が読みまちがいをされていると思えるのです。深読みしすぎでしょう。どうして あの文章がそのように読まれてしまうのでしょうか。

牧氏は「通信の秘密」のことを書きたかったのではないかと思います。ただ、それだけでは決められた文字数に満たない。文章を書くのが職業である人間としては文章をひきのばすこともできるでしょうが、文章がうすくなってしまうので、それはしたくない。また、不倫問題については、大騒ぎすることはないじゃないか、と言いたかった。しかし、それだけではやはり文字数が不足する。そこで、ふたつを無理矢理に合体させてしまった。──といったところではないでしょうか。

導入部の不倫問題が長くなりすぎています。ふたつめとみっつめの段落に削れる部分がありますので、短くすることは可能です。ところが、くわしくないと思われるネットの問題を長く書けないので、不倫問題を短くすることができない。結果、短い文章にふたつの話題をもりこんだカタチになってしまい、勘ぐられ、誤解が生じたものと憶測します。

導入部は、導入部らしく、さらっと書くべきでしょう。

ただ、本題につづく導入部として、さらっと流したつもりでも、そうは読んでいただけないこともありますがね。3日の投稿でGoogleとgoogleのはなしを名詞の動詞化のはなしの導入部にしたつもりなのですが、そうは読んでいただけなかったという例もあります。

誤解を生じないような文章を書くのはむずかしいものですね。
ニックネーム torokko at 08:37| ことば

2006年10月05日

敬語をつかわせていただいてま〜す

敬語がらみの話題です。

「一番先頭の車両は女性専用となっていただいてま〜す」

埼京線の駅員のアナウンスです。

つっこみどころの多い文ですね。

まず、「一番先頭の車両」は「一番まえの車両」か「先頭車両」でしょう。

「女性専用となっていただいて」いるのは先頭車両ですから「車両は」はおかしいですね。「車両に」あるいは「車両には」ですね。おまけに、車両に敬語をつかっております。鉄道会社ですから車両は大切なものですが、いってみれば車両は駅員の「みうち」です。みうちに敬語はつかいませんよ。

それに、アナウンスする相手はお客さまです。敬語はお客さまにつかわなければなりません。

「先頭車両は女性専用としております。お気をつけください」

実際はそのとおりなのですが、客商売としては つらい 言いかたですね。

「先頭車両は女性専用です。おまちがいなきようにお願いいたします」

このあたりで おちつきますかね。
ニックネーム torokko at 07:39| ことば

2006年10月04日

狂った語感をやしなわないために

敬語の分類が3から5にふえることになるという。文法の説明のためにはそれがいいと思う。われわれが英語を学ぶときに文法を勉強して使用法をおぼえるのと一緒で、日本語のつかいかたを学ぼうというひとたちのためには、より明確な説明ができるように整理してゆくことには、それなりの価値がある。

日本人が感覚として身につけている日本語のつかいかたは生活のなかで憶えてきたもので、それを整理したものが文法なのだから、日本語を母語とするものは本来なら学校で文法をいちから学ぶ必要はない。

たとえば、「れる」と「られる」のつかいわけにしても、《えーっと、「起きる」は上一段活用動詞であって、五段活用でもサ変でもないので、助動詞は「られる」だから、「起きられる」なのだな》なんてことは考えない。「あした4時におきられる?」とスッと口からでてくる。そういう語感が身についているのである。

ところが、そうはなっていないのが現状。ことばに対する感覚がおかしくなっていることは事実だ。その原因にひとつに、おおくの文章にふれていないことがあげられるだろう。接触しているのは、文章の変なマンガ本やゲームの画面に表示される文章がほとんどだ。テレビやラジオから聞かれるコトバにしても、しばしば、おかしいものが紛れこんでいる。言語感覚がみがきあげられるわけがない。

文章を書く者、おおやけの席で発言する者は、変な日本語を使わないように気をつける必要がある。NHKでは、いまでもそうなのかはしらないが、歌手については、テストに合格しなければ出演させないということをやっていた。浅田美代子がなかなか合格しないので周辺がやきもきしていたということもあった。アナウンサーやパネリストなど発言するものには日本語に対する感覚、語感のテストを課し、合格したものでなければ出演させないというルールをつくっても いいのではないかと思っている。

現状、生活上で語感をみがきあげにくい環境下におかれているので、それを補助するために母語であるはずの日本語の文法を教えなければならなくなっている。もちろん、文法をしっておれば、つかったことのない語のつかいかたがわかるというメリットがある。したがって、学校で教えることには意味があると思う。

その文法にも種々の論議があり、◯◯文法とよばれて、いくつも存在しているのでややこしいが、使用のしかたを分類する考えかたが違うだけであって、日本語がちがっているわけではない。文法にのっとって日本語を組み立てるわけではないことには留意しておく必要がある。


雑談になるが、「美化語」という分類名は混乱のもとになるのではないかという危惧をいだく。上品さをあらわすのだからと単純に考えて「わたしのお名刺です」「わたしのお名前は◯◯ともうします」と言いかねないね。「お名刺いただけますか」「♪あんたの お名前 なんてぇの?」「おビール おつぎしましょうか」「お茶ください」とは別のものだからね。

──iza!──〈敬語、「美化語」など加え5分類に 謙譲語は2分割〉
──北海道新聞──〔「美化語」加え5分類に 文化審が敬語の指針案〕
(上記ふたつの記事内容は、一部数字の表記法をのぞいてまったくおなじです)
ニックネーム torokko at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年10月03日

かおってみる

アメリカでは Google で検索することを google といっているそうで、Google が google といわないでくれ、とお願いしているそうです。日本では「ググる」なので問題はないでしょう。

グーグルという固有名詞を動詞化しているわけです。「愚痴る」「ケチる」など、名詞を動詞化したコトバはときどき見聞するところですが、ちょっとかわったコトバを耳にしました。

「かおってみてください。なんのかおりか わかりますでしょうねえ」

あるアナウンサーの発言です。「かぐ」という語をつかって「かいでみてください」というところでしょう。「かおり」という名詞を動詞化したとみることもできますが、「かおる」という自動詞を他動詞化したともみられます。

どちらにしろ、聞きなれないコトバです。「かおる」が他動詞として使用されますと、「かおったけれども かおりはなかった」「かおったけれども においはなかった」と変なことになってしまいます。

同様のことは「におう(匂う、臭う──前者は いい におい、後者は わるい におい)」にもおこりえます。「におったけれども においはなかった」と。
ニックネーム torokko at 08:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年10月02日

空気がほたえた

調子にのって書きすぎたとき、「筆がすべった」という言いまわしをすることがあります。おのれが悪いのじゃない、悪いのは筆なのだ、と筆のせいにしているのです。

キーボードで文章をうちこんでいるわれわれですと、さしずめ、「指がすべった」と自身のせいにするか、「キーがあばれた」とキーボードのせいにするか、さあ、どうでしょう。

しゃべるほうでは、「口がすべった」といいます。ひとのせいにはしておりません。

これをひとのせいにしている言いまわしを聞きました。なんと、空気のせいにしているのです。そのご仁は、「空気がすべった」と言っていたのです。

意味はなんとか分かりますが、もっといい言いまわしはないものでしょうかねぇ。空気のせいにするのでしたら、「空気がほたえた」はいかがでしょうか。
ニックネーム torokko at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年10月01日

光年は時間の単位ではありません

146億光年かなたに星がみつかった、という話題でした。ラジオ番組です。我々がみているその星の光は、むかしむかしにその星をでた光なのだ、ということを話していたときに飛びだしたことばです。

「光の速度で146億光年 旅すんねん」

光速で宇宙船が146億光年もの超長距離の移動をするという意味でいっておられたのではありません。光年は光が1年かかって到達する距離という長さの単位ですから、距離という認識があれば「光の速度で」ということばは使わなかったでしょう。


新聞のコラム、毎日なら「余録」、朝日なら「天声人語」にあたるところですが、そこに書かれていたのが、

「鉱山の歴史は400年だが、ニュートリノの研究は何万光年が単位である」

という文です。時間の単位と長さの単位の数字をならべることになんの意味があるのでしょうか。翌日の同コラムには、この記事を書いたひとは中学時代に理化部にはいっていたということが書かれていましたので、余計に首をひねることになりました。


どちらも「光年」が時間の単位だと思いこんでいるのですね。

「10-15m=1Y」のYが湯川秀樹博士の業績から Yukawa の Y が使われるようになった、といったことはご存じでも、光年といった下世話なことは知らないのですかね。それとも、光年という単位は一般的なものではないのでしょうか。
ニックネーム torokko at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば