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更新をつづけております。

2006年09月30日

あたります=あたるかもしれません

「一等賞金3億円があたります」
「賞金3億円があたる宝くじをさしあげます」

まさか、あたりクジがもらえるなどと考えるご仁はいらっしゃらないでしょうが、コトバの意味するものは「あたりクジ」です。あたりクジがもらえるものと解釈され、うそつき! と面罵されてもしかたのないところです。

それとも、「あたります」とか「あたる」というのは「あたるかもしれない」という意味だとおっしゃるでしょうか。

「金メダルをとります」は、金メダルをとりたいです、とりたいと思っています、とるつもりで精一杯ちからを発揮します、といった意志を表出している文です。しかし、「あたる」と「とる」は、その性格をことにするものです。自身でなんらかの行動をおこすのが「とる」です。「あたる」ではなく「あてる」がこれに該当します。

3億円があたるかもしれない、あるいは、3億円の賞金が設定されているクジ、ということを伝えるように広報すべきでしょう。

かといって、「1等賞金3億円があたるかもしれない」とか「賞金3億円があたるかもしれない宝くじをさしあげます」とアナウンスすることには躊躇があるだろうと思います。

「1等賞金が3億円です」
「賞金3億円の宝くじをさしあげます」

と、どうしていえないのでしょうかねぇ。

もっと正直に

「◯百万分の1の確率で3億円があたります」

といえば、文字どおり、万が一にも あたりません、といっているわけなので、さすがに これは できないでしょうがね。
ニックネーム torokko at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

あたります=あたるかもしれません

「一等賞金3億円があたります」
「賞金3億円があたる宝くじをさしあげます」

まさか、あたりクジがもらえるなどと考えるご仁はいらっしゃらないでしょうが、コトバの意味するものは「あたりクジ」です。あたりクジがもらえるものと解釈され、うそつき! と面罵されてもしかたのないところです。

それとも、「あたります」とか「あたる」というのは「あたるかもしれない」という意味だとおっしゃるでしょうか。

「金メダルをとります」は、金メダルをとりたいです、とりたいと思っています、とるつもりで精一杯ちからを発揮します、といった意志を表出している文です。しかし、「あたる」と「とる」は、その性格をことにするものです。自身でなんらかの行動をおこすのが「とる」です。「あたる」ではなく「あてる」がこれに該当します。

3億円があたるかもしれない、あるいは、3億円の賞金が設定されているクジ、ということを伝えるように広報すべきでしょう。

かといって、「1等賞金3億円があたるかもしれない」とか「賞金3億円があたるかもしれない宝くじをさしあげます」とアナウンスすることには躊躇があるだろうと思います。

「1等賞金が3億円です」
「賞金3億円の宝くじをさしあげます」

と、どうしていえないのでしょうかねぇ。

もっと正直に

「◯千◯百万分の1の確率で3億円があたります」

といえば、文字どおり、万が一にも あたりません、といっているわけなので、さすがに これは できないでしょうがね。
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2006年09月29日

セイギョウ

「錦鯉の養殖をセイギョウとした」

あるアナウンサーのナレーションです。

このセイギョウというコトバを耳にしたとき、頭にうかんだのは「正業」という漢字でありました。ニシキゴイを養殖しているひとは、もとは、やくざか香具師ででもあったのかと考えました(なお、つっこまれるまえにいっておきますが、かのフーテンの寅も言っておりますように、香具師もヤクザな稼業です)。けれども、それにつづく文脈からは、「正業」ではなく、「生業」であることが分かりました。

ナレーションの原稿を書くひとはどういうつもりで「セイギョウ」という字を書いたのでしょうか。

漢字で「生業」と書いたのをナレーターが「セイギョウ」と読んだのかもしれません。「生業」には「セイギョウ」という読みかたもありますから。

「生業」に「セイギョウ」という読みがあり、「正業」とまぎらわしいということに気がつかなかったのでしょう。書く方は漢字しか頭になく、放送は音声でつたえるのだということが頭になかったのでしょう。

こういう場合には、漢語ではなく、「なりわい」という日本語を使用した方がいいのではないでしょうか。
ニックネーム torokko at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月28日

変なあいづち

「今度の移動で、きみを課長に推薦することにしたよ」
と話したとき、
「ありがとうございます」
とお礼のことばを聞くのが普通だろう。

そのときに
「ホントですか」
ということばがかえってきたらどうだろう。

どういう気分になるだろうか。



ここ数年来、対談番組やバラエティ番組、ドラマにとみにみられるようになった、気になる「あいづち」が、この、「ホントですか」というコトバだ。

ガセっぽい話をきかされて、うそっぽいな、本当のことかい? と本来なら、あいての情報が本当かどうかを疑っているコトバだ。だが、つかわれかたを見ていると、どうやら疑っての発言とは思えない。軽い気持ちで喜びをあらわしているようだ。英語の「Realy?」「Realy and Truly.」というやりとりとは違うようにみうけられる。

言った方は軽い気持ちでこのことばを発し、うれしさ、喜びをあらわしているつもりでも、いわれた方は不快になるのではないか。

たいした情報でもないのに「ホントですか」といっているのを聞くと、バカらしくなる。うその方がいいのかと茶化したくもなろうというものだ。

けれども、このことば、いやなことに、どうやら市民権を得つつある。
ニックネーム torokko at 08:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月27日

ことばは生きているのだが

バラエティ番組がふえたことが要因のひとつと考えられるのだが、テレビやラジオにでてくる いわゆるタレントの発言に、なかまうちだけで使用していたようなコトバがまざりこみ、それが一般にひろまってしまうということが多くなったように思う。

たとえば、いまでは「視線」という語はほとんど聞かれない。映画や写真で使用されていた業界用語の「目線(めせん)」に とってかわられてしまっている。

また、関西の地域語である「ら抜きことば」が普通につかわれるようになっている。

「われわれアナウンサーはことばの専門家ですから」とテレビで言っていたアナウンサーが「マギャク」を普通につかっているということもある。


メモをくっていたら、もとMBSのアナウンサーで、いまはラジオでパーソナリティーをつとめておられる近藤光史氏がいいことをおっしゃっていた昨年の7月の記録が目についた。

《ことばは生きているのだから》云々という花田某氏の発言に対しておっしゃったもので、
ことばの使いかたが かわるとき、放送にたずさわるものは、世間がみんな かわってから、最後にかわるべきだ。変化を加速してはならない。
という主旨であった。

変化を加速しない──そのとおりだと思う。変化するのが時代の流れなら、自然にまかせるのがいい。流れに棹さすことはない。

放送関係者には、いや、作家や随筆家、ライターにも、こころにとどめておいていただきたいコトバである。
ニックネーム torokko at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月26日

迂回表示

土地勘のないところを走っているときに工事中の地点にでくわすことがあります。たいていの場合は迂回路をしめす矢印があり、その矢印の方向に進路をかえるのですが、たまに、迂回路がわからずにとまどうことや、そのさきの道路に標示がなく、どう進めばいいのかわからなくて困ることもあります。

この看板の手前には矢印のかかれた別の表示板がおかれています。ところが、その方向にすすむと、さきには案内表示がありませんでした。

tuukoudomewoonegai.jpg

さて、この看板、通行止をだれにお願いしているのでしょうか。「通行止」をお願いするさきは道路の管理者ですよ。ドライバーではありませんよ。ドライバーには、迷惑をかけてすまない、とあやまるのです。

「通行止」と書かれたふだは、この看板に、はりつけられています。看板をつかいまわしているのでしょう。

工事関係の表示で「工事中につきXXをお願いします」の XX にはいるコトバにはどういうものがあるのでしょうか。使いまわしをするくらいですから沢山あるのだと思われます。

考えてみましても、迂回、片側交互通行くらいしか思いうかびません。

不思議な看板です。
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2006年09月25日

地域語かな?

イヌのフンは持ちかえろう、といわれております。小さなシャベルとポリ袋、小さく切った新聞紙をもって、あるいはフンとり器持参でイヌを散歩させているひとたちを見かけます。ところが、あれは心得違いだとラジオで紹介しておりました。

イヌに排便させるために散歩するのではない、のだそうです。イヌを散歩させるのは、イヌの健康のためであって、排便のためではないということです。

しつけるためには、散歩中に排便しかかると、そこで散歩を中断して帰宅なさるのだといいます。排便をすませなければ散歩にゆかないのだとイヌに知らしめることが重要だそうです。

なるほど、そうすれば、イヌのフンを踏んづけてしまって まいったということもなくなります。ただ、野良犬の問題がのこりますがね。


sasasenai.jpg


イヌの脱糞を禁止している この看板をみたのは、JR紀伊長島駅ちかくにある公民館の駐車場に隣接する公園でです。

「マナーを守れ!」とありますが、これはよくある心得違いです。マナーはまもるものではなく、学び、こころえるものです。

わたしは自宅のトイレでしますわよ、と、つっこまれそうですね、「飼い主は自分の敷地内でやれ!」というのは。意味はわかりますが「やれ」ではなく「やらせろ」ですね。それとも「やらせろ」を意味する地域語、いわゆる方言でしょうか。

さて、「させるな! ささせない!」がよく分かりません。

「走らせる」を「走らさせる」、また、「走らせられた」を「走らさせられた」、と、「さ」をくわえた かたちで おっしゃるひとがいますが、そういったひとたちは、どちらかを使用するのであって、どちらも、ではありません。両者をならべているというのが不思議です。

「させる」と「ささせる」は この地方、三重県紀北町紀伊長島区では意味が ちがうのでしょうか。たとえ地域語であるとしても、ふたつのいいようをならべるのは あり なのでしょうか。

それとも、わざわざ ならべて記述しているところからみて、「運転するなら、飲まない、飲ませない」のような意味のちがいがあるのでしょうか。
ニックネーム torokko at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月24日

おもしろい作字

jibaiseki_a.jpg

手書きの看板によくみかける「歓迎」の「迎」の字は正しく書かれています。その下、「車の保険 始めました。」はいただけません。「冷やし中華 はじめました」とおなじパターンです。「エンジンオイル はじめました」とは書かないでしょうし、「タイヤ はじめました」とも書かないでしょう。意味はわかりますが舌ったらずです。

それよりも面くらったのは、その下の文字です。

jibaiseki_b.jpg


「自賠責」の「賠」が[貝害]になっています。「貝」はおかねのことですから、おかねがでてゆく「損害賠償」にはピッタリです。まさか、そのつもりではないでしょう。おもしろい文字をつくったものです。

なお、いかにもありそうな[貝害]という字を9月12日の記事に書いております「辭彙」でしらべてみましたが、掲載されておりませんでした。
ニックネーム torokko at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月23日

ぱちる

ある有名な演出家とある劇団の主宰者との会話です。

主「ぱちらせてください」
演「どうぞ ぱちってください」
主「ぱちらせてもらいます」

主宰者は別のときに、「ぱちらしてもらってますから」とも言っておりました。

「ぱちる」とはなんなのでしょうか。

写真をとることからでたコトバではないかと にらみました。写真を撮影することをあらわすのに「パチリ」といいますからね。

といっても、写真をとってもいいか、ということではないでしょう。

食べものをパクリと口のなかに入れるところからでたと推測できる「ぱくる」と同様に盗むということだと憶測しました。

つまり、先の会話は、

「演出をいただいていいですか」
「どうぞ つかってください」
「取りいれさせていただきます」

といったところでしょう。

業界用語が素人社会に顔をだすととまどいますね。それとも、わたしが知らないだけで、世間に浸透しているコトバなのでしょうか。
ニックネーム torokko at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月22日

重言

いにしえの昔の武士のさむらいが
 山の中なる山中で
  馬から落ちて落馬して
   女の婦人に笑われて
    赤い顔して赤面し
     うちへ帰って帰宅して
      仏の前の仏前で
       短い刀の短刀で
        腹を切って切腹し
         死んであの世へ行っちゃった

という重複表現をあつかったことばがあります。「重言」ともいいますが、別の意味もありますので、ここでは「重複表現」ということにします。よくもこれだけ集めてストーリーをつくりあげたものだと感心します。


重複しているとは思わずにつかっているのでしょう。

「その量は、果実類のなかではダントツトップです!」
「落雷が落ちて」
「ご覧ください、この駐車場。水で冠水しております」
「餃子のしにせテン」(老舗店)
「あとで後悔するなよ」
「自衛隊が戦後初めての戦時海外派遣へ出かけていってしまいました」

最後のは微妙ですね。「海外派遣に出させられた」でしたらドンピシャなのですが。

重複表現はうっかりと使ってしまいそうです。

「歌を歌う」はどうでしょうか。「歌」というのは「歌うために節のつけられた言葉」ですので、これは重複表現にはなりませんが、書いていると、えっ、と思いそうですね。

「中元の贈り物」「歳暮の贈り物」はいかがでしょうか。

「お中元」「お歳暮」でしたら贈り物の意味がふくまれているのですが、「中元」「歳暮」ですと単に季節をいっているだけですので重複表現にはなりません。ややこしいですね。
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2006年09月21日

可能をあらわす表現

「可能」を重ねると可能性が高まる──わけは ないですね。

「走れることができます」
「見れることができます」
「なぜ、知りうることができたのか」
「応じられることができるようになります」
「XX様にあえることができたら」

──現役のアナウンサーの発言もありますし、ドラマのセリフもあります。
──「慣れることができます」にひっぱられたのでしょうか。
──「できる」のまえに置いていることばが可能表現だとは感じていないのでしょうね。
──「〜することができる」という中学校の英文和訳風のいいかたに毒されたのでしょう。学校教育が本来のコトバを失わせているようです。「お問い合わせいただくことができます」というパターンもしばしば見かけます。


「自分らしさが出せれると思います」
「自分で探せれます」
──「れる」「られる」をつけると可能表現になるとお考えの方もいらっしゃるようです 。
ニックネーム torokko at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月20日

意味はわかるのだが表現が

なんだこれは! といわれそうなのですが、はずかしげもなく、戸外に大きく、高速道路入口付近にはあちらこちらに表示されております。

挿入OK?-1
挿入OK?-2


ETCカードをわすれずに挿入しているか、という意味なのですが、「挿入OK?」ということばには、男女の関係を想像させるものがあります。

ジョニーワイズミューラーのターザン映画をおもいださせられる、日本語版ターザン英語のような、かたこと のコトバです。

「挿」という画数のおおい、視認性のわるい字をつかわずに
「ETCカード
 わすれずに!」
で いいのじゃないでしょうか。
ニックネーム torokko at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月19日

かもす かもしだす

「かもす」と「かもしだす」の使用法が混乱しているようです。
・物議をかもしだした女子アナ
・いろんな物議をかもしだしましたけどね
・いろいろ物議をかもしだす存在なんですけども
・なんとも不思議な雰囲気をかもしています
前3件は元アナウンサーの司会者、最後は現役のアナウンサーの発言です。

わたしの知識では、「かもす」と「かもしだす」の用法が逆のように感じられます。例によって辞書にあたってみます。

日本語大辞典の記述をみてみます。まずは「かもしだす」から
感じや気分をつくりだす。[用例]好ましい雰囲気を──。
つぎに「かもす」です。
(1) 発酵させて、酒・しょうゆ・みそなどを造る。醸造する。
(2) 生じさせる。つくり出す。[用例]物議を──。
採集した文は用例とは逆になっています。

新明解国語辞典の用例にも大辞林電子版の用例にも、「かもす」には「物議を──」が、「かもしだす」には「雰囲気を──」が掲載されています。

やはり逆でした。「物議」は「かもす」で、「雰囲気」は「かもしだす」なのでした。

広辞苑にもあたってみましょう。「かもしだす」は広辞苑第1版第2版には掲載されていませんでした。「かもす」をみます。
(1) 穀類などを水に和して発酵させ、酒・醤油などをつくる。醸造する。かむ。
(2) こしらえだす。段々につくり出す。


「かもしだす」という語は、もともとは「かもす」+「だす」だったと思われます。この「だす」は「はじめる」と解釈するのが自然です。「決闘を始めだす」ですと、「始める」の強調ということです。「物議」も「雰囲気」「かもす」でいいことになります。

「物議をかもしだす」は「物議をかもしはじめる」「物議を生じさせはじめる」と解釈するのが普通ではないでしょうか。同様に普通に解釈すれば「雰囲気をかもしだす」は「雰囲気をつくりはじめる」という意味になります。したがって、「物議」も「雰囲気」も「かもす」が普通であり、「かもしだす」を使用することは滅多にないことだと分かります。

わたしの知識もいい加減なものであることが、またもやあらわになりました。
ニックネーム torokko at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月18日

ローマ字

ローマ字というと、むかし学校で習ったものをおもいだされることでしょう。学校で教わったのは訓令式でした。チは ti と、フは hu と書いておりました。中学校にはいると英語の授業で別の方式のローマ字で名前を書くことになります。チは chi に、フは fu になりました。ほかにも、sya、syu、syo が sha、shu、sho に、とか、zya、zyu、zyo が ja、ju、jo にかわり、関係する名前をもつ子たちはとまどうことになりました。ヘボン式になったのです。

訓令式とヘボン式がでてきました。ほかに外務省式やISO規格などがあるようです。このサイトにくわしく書かれています。

「ローマ字」を広辞苑でみてみましょう。
(1)ラテン語を表記する文字としてローマに発源し、現今欧米諸国で用いる音標文字。ABC、abc など。
(2)ローマ字で国語を綴ること。また、その綴ったもの。
とあります。

いまローマ字といえば、(2) のことと思っているむきがほとんどのように思えます。


・アルファベットらしき文字が
・紺色のアルファベットのような文字が
・濃い緑色で書かれたアルファベットのMの文字が
これらはテレビニュースで採集したものです。

最後の例は、おなじ局の別のニュース番組では、証言者は「アルファベット」ではなく「ローマ字」といっていました。勝手に「アルファベット」にいいかえてしまっていたということです。

では、アルファベットとはなんでしょうか。これも広辞苑でみてみましょう。
或言語を書くに用いる文字の総体。通常一定の順序に配列。ABCD・・・など。一般に現在のローマ字をいう。
「一般に現在のローマ字」とありますが、ここでは広辞苑にいうローマ字の (1) の意味でつかっております。 キリル文字にもアルファベットがあるのです。朝鮮語のハングル文字にもあります。もちろん日本語にもあります。

日本語のアルファベットは「いろはにほへと……」や「あいうえお……」です。

いまアルファベットといえば、「ABC・・・」のことと思っているむきがほとんどのように思われます。
ニックネーム torokko at 07:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月17日

〜まして

「あらためまして こんばんは」

文字にすると見にくいので「て」と「こ」のあいだにスペースを入れておりますが、そこにはマはありません。ラジオ・テレビでよく聞かれるアナウンサーのことばです。長時間番組がニュースや別番組などで中断されたあとに使われることが 多いようです。

さっきまで喋っていたのだから、「こんばんは」だけでは よそよそしく思うのでしょうか。

普通に言うなら「あらためて ご挨拶いたします。こんばんは」でしょう。

それにしても、「ます」の命令形である「ませ」「まし」を尊敬や謙譲をあらわす語につけて「いらっしゃいませ」とか「くださいまし」とは言いますが、「あらためまし」は ない でしょう。

おそらくは、「はじめまして」の応用でしょう。かたちをとったのですね。

「はじめまして」の「て」は終助詞ですが、「あらためましてこんばんは」ですと「朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、」の「て」とおなじ接続助詞として使っているようです。

終助詞として「て」を使うのなら、マをおかなければ聞きづらいものです。「はじめまして。こんばんは」とマをあけますね。「あらためまして。こんばんは」とマをあけましても落ちつきません。挨拶語としても「あらためまして」はないからでしょう。
ニックネーム torokko at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月16日

〜をきりつける

「同級生の女の子カッターナイフできりつけた」
「カッターナイフで首の付近をきりつけた」
「なぜ XXさんをきりつけたのか」
テレビ・ラジオのニュースで耳にすることばです。わたしの語感では違和感があるのです。

「きりつける」を「きりかかる」にかえてみると、違和感はふくれあがります。
「同級生の女の子をカッターナイフできりかかった」
「カッターナイフで首の付近をきりかかつた」
「なぜ XXさんをきりかかったのか」

「きりつける」を「きった」にすると、違和感は生じません。
「同級生の女の子をカッターナイフできった」
「カッターナイフで首の付近をきった」
「なぜ XXさんをきったのか」

受動態ですと「きりつける」でも違和感はありません。
「XXさんがカッターナイフできりつけられ」

さきにあげた3例も、以下のように助詞をかえてやりますと、違和感は生じません。
「同級生の女の子にカッターナイフできりつけた」
「カッターナイフで首の付近にきりつけた」
「なぜ XXさんにきりつけたのか」

「きりつける」を「きりかかる」にかえても落ちつきの悪さは感じません。
「同級生の女の子にカッターナイフできりかかった」
「カッターナイフで首の付近にきりかかった」
「なぜ XXさんにきりかかったのか」
「を」を「に」にかえただけです。


「きりつける」「きりかかる」という動作の方向にある対象に「を」使用するのが違和感の原因のように思われます。「きる」でしたら「を」でも問題なしなので、違和感は「つける」に起因するものなのでしょう。ま、分析は言語学者にまかせておきましょう。

学生のときに、講義で和文を英訳したのですが、教授から、文法的にはあっているのだが、そういう言いかたはしない、と言われたことがあります。なにか違うな、と落ちつきの悪さを感じるのでしょう。母語だからこそ身につく感覚です。この感覚をおさないころから磨いておく必要があるのですね。おさない時分からの言語生活でつちかわれる語感を研ぎすませておくことが肝要なのです。

以前に「に」と「へ」のことを書いております http://torokko.269g.net/article/2536962.html 。変な使いかたに落ちつきの悪さを感じるか感じないか。時代は感じない方にむかっているのかもしれませんが、日本語を大切にしたいものです。言語感覚を磨くことは幼いうちです。成長してしまったら、その獲得は大変です。子たちが日本語について母語らしい感覚を身につけられるよう、環境を整えてやらなければなりません。おとなの役目でしょう。
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2006年09月15日

夜に食べるから よるごはん

朝に食べるのが朝食・あさめし・あさごはん、昼が昼食・ひるめし・ひるごはん、晩が夕食・ばんめし・ばんごはん。ほかのいいかたもあるが、このあたりが一般的な用語であろう。受験生には夜食がある。宵っぱりになっている時代なので、受験生でなくとも夜食をとっているご仁もいらっしゃるだろう。

最近テレビ・ラジオでときおり聞くことばに「よるごはん」がある。ばんごはん、夕飯のことのようだ。夕食・晩ごはんというには食べる時刻がおそすぎる、と感じているのだろうか。

夕とか晩の時間帯はひとによって差がある。夕方は何時ごろと感じているのか、いろんなひとに聞いてみたことがある。あるひとは15時から日没まで、あるひとは17時から19時、などと、まちまちだった。

本人が感じているその時間帯よりもおそくなってから食事ということになると、夕食とか晩ごはんということばは そぐわないと感じているのだろう。

では、かれらは夜食のことを、どのように言っているのだろうか。深夜食であろうか。

案外、朝ごはん、昼ごはん、よるごはん、やしょく、で あったりして。
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2006年09月14日

一所懸命をつかいたい

国語の宿題の作文に「一所懸命」という語をはじめて使った。中学2年のそのときまでは「一生懸命」を使っていた。返してもらった原稿用紙には「一所懸命」の横に「一生懸命」と赤文字で書きこまれでいた。

読んだ本に「一所懸命」という語があり、ひとつところに懸命になる、という字づらが気にいったのか、「一生懸命」よりもカッコイイと思ったのであろう。それで、作文に「一所懸命」を使ったのだ。

作文をもって教師のところに行った。教師がなんといったかはおぼえていないが、多分、「一生懸命」が正しいとかなんとか言われたのであろう。その後は、怪訝に思いながらも「一生懸命」を使うようになっていた。

もともとは、領地である荘園をまもることをいった「一所懸命」であるが、発音の便宜上「いっしょうけんめい」と読まれ、それを文字にした「一生懸命」は誤記からきているものだ、ということを知ったのは大学をでてからのことだった。

当時につかっていた国語辞典になんと書いてあったのかはおぼえていない。

新明解国語辞典には「一生懸命」は「一生」のところに掲載されており、「一所懸命」の長呼、だと書かれている。「一所」のところに「一所懸命」があり、意味も掲載されているものの、常用は「一生懸命」だとしている。

広辞苑第1版には、「一生」の見出しのもとに「一生懸命」があり、「一所懸命」の誤、と明確にあやまりだとしている。第2版では、「一所懸命」の転、としている。いずれも「一所」の見出しのもとに「一所懸命」はあり、そこに意味が書かれている。

日本語大辞典では、「一生懸命」も「一所懸命」も見出しがある。「一生懸命」の方には、「一所懸命」の転、と書かれている。意味は「一所懸命」の方にくわしい。

10月に新版が出版される予定の大辞林の現版の電子版には、どちらも見出しにあり、「一生懸命」のところに、「一所懸命」から出た語、と書かれている。

こうしてみてみると、どちらでもいい、ということになるが、現在では、新明解が“常用”としている「一生懸命」にしておく方が無難なのかもしれない。けれども、「一所懸命」を使いたい。
ニックネーム torokko at 08:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月13日

「書場簾」がルビなしで読めますか

漢字のわきに小さい文字で ふりがなが ふられていることがあります。ルビとよばれております。「ルビー」とよばれていた ちいさな活字が ふりがな として使われたので、その活字のサイズからのよび名だそうです。

語彙をふやすのに役立つもので、漢字と読みかたがおぼえられます。「茨木」に「いばらき」とルビがありますと、大阪の茨木は茨城と同様に濁らないんだなと知ることができます。「正岡容」さんの「容」は「いるる」と読むのだということは、落語関連本のルビでおぼえました。「駒形の駒形堂」は「こまがた の こまんどう」であることなんぞは、地元の人間でないかぎり、ルビがなければわかりません。このような地名や人名にルビがふられているのは親切なことだといえます。

まちがったルビがふられていることがあります。これは困りものです。編集者がしっかりしてくれないと困ります。



漢字の読みとしてはまちがいなのですか、ひとつの表現方法として、あえてそういうルビをうつ場合があります。

(以下、{ }内の文字はルビです)
身元の判明{わか}らぬ
間違いなく長屋{となり}の熊公だ
長屋{うち}に居るよ
この行き倒れは昨夜{ゆんべ}から
吉原{なか}に素見{ひや}かしに行き
食い物に中毒{あた}って
長屋{うち}に帰{け}えってきたんだ
観音様の境内{ところ}で倒れたのを
よく理由{わけ}を話したら納得しました
八公{あにき}にいわれて
そのうちに群衆{まわり}からも
(立川談志『新釈落語咄』第1回「粗忽長屋」より)
聞かせる落語ではなく、読ませる落語なので、話しことばに漢字をあてがっているのです。咄の流れ・読みかたはルビの方で、意味が本文の方になっています。

イリコやコンブでだしをとった汁、「だしじる」を単に「だし」といいます。そのため、「出し汁」と書いて「だし」とルビがふられることもあります。「出し汁」は、おくりがなを省略して「出汁」とすることが許容されています。結果、「出汁」に「だし」とルビがふられることが多くなっているのです。それで、「でじる」と読んで笑われるご仁もいらっしゃったりします。

この手のルビは子たちには危険であるといえるでしょう。



春は三月、桜{はな}に浮かれる向島{むこうじま}は三囲{みめぐり}の土手の茶店に、花見客のいちばん出さかる午後二時ちかく、腰をかけている浪人があった。五つ紋の黒羽二重{くろはぶたえ}に、萌葱献上博多{もえぎけんじょうはかた}の帯、朱鞘{しゅざや}の大小ながやかに横たえて、八幡黒なかぬきの草履、深編笠をかぶっているが、なんとなく胡散くさい。
(都筑道夫『なめくじ長屋捕物さわぎ』シリーズの「花見の仇討」書きだし部分)
若いかたですと読みづらい漢字がつづいているように思われることでしょう。ルビがあればたすかりますね。1カ所をのぞいて普通の読みかたです。のぞいた1カ所は「桜」です。「はな」とルビがふられています。「はな」といえば「桜の花」をいいますから、「桜」を「はな」と読んでもらいたかったのでしょう。

都筑氏は同シリーズにおいておもしろい文字づかいをしています。江戸時代が舞台の推理小説ですが、おもな登場人物の名前がカタカナなのです。そのため、カタカナことばを使用すると、人物名が文章のなかに紛れてしまいます。そこで、カタカナことばに漢字をあてがったのです。そして、ルビは ひらかな にしております。一種の“ことばあそび”です。その一部を以下にご紹介します。
巣乱{すらむ}
書場簾{きゃんばす}
面輩{めんばー}
倶游夫{ぐるーぷ}
転作印{でざいん}
有場居{ありばい}
浮楽痴軽乗句{ぷらてぃかるじょーく}
演比騒動{えぴそーど}
才気照句{さいけでりっく}
なんとも たのしく 漢字におきかえております。この場合はルビを読み、意味もルビからで、本文の方は「見て楽しむ」趣向になっています。

「不在証明」と書いてルビが「アリバイ」となっていることもありますが、「有場居」に「ありばい」とルビをいれる趣向の方がたのしく感じます。



落語のケースでは、読むのは本文で、意味はルビ、という方が自然なかたちだと思います。つまり、ことば遊びの場合を別として、本文はカタカナかひらかなで書き、ルビを漢字にする、ということです。けれども、ルビは文字が小さいため、ひらかな か カタカナ で書かれます。漢字では画数がおおくて判読できないということもあるのでしょう。これは、いたしかたのないことだろうと思います。



一口にルビといいましても、このようにいろいろな性格をもったものが存在しているのです。ルビが日本語学習、読みかた学習、漢字学習に役だつ面はたしかにありますが、勉強中のおさない子たちに混乱をまねくことにならないのか、という点が心配です。
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2006年09月12日

服毒の反対は

毒物をあおって死ねば服毒自殺といわれます。毒をも(盛)って殺したら、毒をもられて殺されたら毒殺です。「毒をあおること」が服毒なら、「毒をもること」はなんといえばいいのでしょうか。

今月はじめのスポーツ報知に、
 ジーコ・ジャパンの遠征では西芳照シェフら最大3人の専属料理人が常時帯同。04年アテネ五輪アジア最終予選のUAEラウンドで、日本代表が巻き込まれた集団食中毒事件がきっかけだった。現代表でもある浦和FW田中達、MF鈴木らが下痢で倒れた。対戦国の服毒の可能性も浮上した。
という記事があったのです。「対戦国の服毒の可能性も浮上した」というのは、対戦国が毒をもったのかも、という意味で書かれたものとしか思えません。しかし「服毒」では自分で毒をあおったことになります。

東京堂の反対語大辞典には「服毒」の反対語は「解毒」しか掲載されていませんでした。英語ですと「毒をもること」は「poisoning」だと思いますが、肝心の日本語が思い浮かびません。(服毒は take poison であり、1語での言いかたはみつかりませんでした。毒をのんで自殺するなんてことは少なかったのでしょうかねえ)

「蠱毒」(コドク)は「毒をいれて_殺す_」だそうです。単に「毒をもること」にあたる漢語はみつけられませんでした。

むかし台湾で買った「辭彙」という辞書には「舊時用毒蟲做的藥、用以毒人」とあります。中国語はわからないのでこれ以上は書けません。(わからないのに、なぜにそんな辞書を買ったと言わないこと)

日本では体調をくずすことを目的として少量の砒素をもるということがなされていたようですが、中国ではどうだったのでしょうか。「蠱毒」に、単に「毒をもる」、という意味があったのでしょうか。

要は、へたに漢語をつかわずに、日本語を用いて「毒をもる」と言えばいいということですね。
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2006年09月11日

ことばが足りない

空港の人ごみのなかをカートをおして高校生が税関から出てくる。そこにレポーターの声がかぶさった。
斎藤く〜ん、サンデージャポンくださ〜い。あっ、田中く〜ん、サンデージャポンくださーい。
サンデージャポンというのはテレビ番組の名前であり、それをくれとはどういうことか。不思議なことを言うものだ。

カメラマンはモデルにむかって「はい、目線ください」と言うことがある。しかし、「サンデージャポンください」はないだろう。

カメラにむかって「サンデージャポン」と言ってくれということなのだ。

こういう舌ったらずな言いかたをするアナウンサーも多い。
インタビューうかがえますか
よろしくです
前者は、インタビューさせていただけますか、お話をうかがわせていただけますか、という意味だ。後者は、おひきまわしのほど よろしくお願いいたします、など、だろう。

ことばの変化をみてみると、みじかい表現をこのみ、表現をみじかくする方向にあることはたしかだ。しかし、みじかくすることが習い性になっているとはいえ、放送人は、一般化するまえのコトバづかいを率先して使用することは避けた方がいい、変化の最後の最後に使用しはじめるべきだ、と思う。
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2006年09月10日

顔写真

顔のわかるバストショットの写真を意味する「顔写真」ということばは、NHKの生放送テレビドラマ「事件記者」で一般化したのではなかろうか。この「事件記者」ということば自体も、この番組から一般化したそうだ。

もともと業界用語であったものが一般化すると、大抵は、ろくなことにならない。

いまはほとんど使用されていない200字詰め原稿用紙をさして、業界用語の「ペラ」をつかっていた素人もいた。こういうのは害がないのでニコニコして聞いておればいい。

すし業界のことばが一般に使われて、客が、「むらさき」だの、「がり」だの、「あがり」だの、「とろ」だの、はては「お愛想」と言うにいたっては、なにをか言わんや語らんや、だ。

「顔写真」だが、いまは業界では使用されていないようだ。一般化してしまったので別のことばを使おうということなのか。

顔のわかるバストショットの写真のことは、新聞業界では「ガンクビ」というそうだ。鈴が森で木の棚のうえにならべられている生首を連想してしまうが、新聞業界では「ガンクビ」は欠かすことのできない素材で、NHK「事件記者」でも「顔写真が」入手できず、若手記者がデスクにどなられているシーンがあった。

近々みられるが、組閣がおわると新聞紙面にはあたらしい閣僚の「ガンクビ」がずらりとならぶことになる。決して鈴が森を連想しないように。

「おーい、ガンクビとってこい」なんて言うと、業界によっては血なまぐさいことになってしまう。「仁義なき戦い」の世界だ。

素人は業界用語をつかわないのが無難なようだ。
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2006年09月09日

意味が伝わればいいのか

今回も放送がらみの話題です。保険会社のテレビCMです。
資料はいますぐ 0120 xxx xxx にお電話ください。
言いたいことは分かりますがね。言いたいことが伝わればいいというものではないでしょう。

短い時間内に内容をもりこまなければならないのでしょうが、舌ったらずです。

この原稿にOKをだしたことにも問題はありますが、こういった文章の原稿をかくひとたちの質が悪いといえるのではないでしょうか。日本人だから日本語がかけるというものではありませんからね。質のいいライターに書いてもらいましょうよ。
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2006年09月08日

カベミミ

きのう7日の「報道 STATION」で耳慣れないことばを聞きました。

消費者金融利息の規制を論議している自民党合同会議の報道でした。部屋にいれてもらえなかったようで、廊下には報道陣がつめかけ、メモをとっていました。かれらにむかって職員とおぼしきひとが「カベミミなしでお願いします」と言っていたのです。言われた記者のひとりが「カベミミ?」と聞きかえしておりました。聞きなれないことばだったのでしょう。

「カベミミ」とはなんでしょう。状況から推測すると、「壁に耳あり障子に目あり」からきたものと思われます。会議をしている部屋の扉に耳をちかづけて、もれてくる声に耳をすましていること──これを、どうやら、「壁耳」といっているようです。

会議内容がもれることをきらった処置でしょうが、異例のことだったのでしょう。テレビ朝日のニュース画面右上にはカギカッコにいれた「壁耳無し」という文字が、このニュースのあいだ、ずーっと、うつしだされておりました。

合同会議のひらかれている部屋の廊下に面した壁が安普請で、うすっぺらで、声がもれ聞こえる、というわけはないでしょう。扉のすきまから声がもれてくるのだから、「壁耳」はないと思うのですがねえ。

「ぬすみぎき」には違いはないのですが、「盗聴」ということばの響きから、このことばは使いづらかったのだろうと思われます。
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2006年09月07日

立て板に水で意味がない、だって

あるテレビ番組のなかに日本語をあつかうコーナーがありました。こういうケースは多いですね。

その「日本語 大丈夫!」というコーナーで「立て板に水」を説明する寸劇が放送されました。
描きまちがえた看板の絵を消すために、立てかけた看板に、バケツの水をかけようとする者に対して、学者風の男が「立て板に水やないか。意味がない」と言う。
というばかばかしいコントでした。

立てかけた看板に水をかけても、すぐに流れてしまう。だから意味がない、と言うのです。「よどみなく しゃべる さま」という本来の意味はどこかにいってしまっております。

びっくりしました。辞書をひらけばすぐに分かることわざなんですよ。放送作家が書いた台本だとは思いますが、放送までには多くのひとの目をとおっているはずです。だれもなんとも思わなかったのでしょうか。不思議です。

これにかぎらず、おかしなことを放送していることがあります。

放送は多くのひとに情報を伝えます。子たちも見ています。まちがったことをひろげるのは困ったことです。放送人は心すべきでしょう。
ニックネーム torokko at 05:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月06日

善し悪し

「よし わるし でっせ」

英語に堪能(かんのう)な大阪のもと漫才師の女性タレントがラジオで言っておりました。

音で知るまえに、文字でおぼえたのでしょうね。「善し悪し」と書いてあれば「よしわるし」と読むのも無理のないことです。たとえ「よしあし」ということばを知っていても、それが「善し悪し」と結びつかなければ「よしあし」とは読みにくいでしょう。

オトと文字とを結びつけることができるのは、どういうきっかけででしょうか。

むかしの書籍ですと、ルビが豊富にうたれておりましたから、簡単に結びつけておぼえられますが、いまはほとんどルビがありません。

直接に親から教えてもらうということはまずないでしょう。親と話しているときに、まちがいを指摘されておぼえるということはあるでしょうが、親との会話がほとんどなくなった今日では、これは望めません。また、親がまちがっておぼえていることもあるでしょう。

学校で教科書を朗読するときに教師から教えてもらっておぼえる、ということが多いのではないでしょうか。教師自身が読んでしまえば、頭のなかを通り抜けてしまうかもしれません。まちがうであろうと思われる生徒に朗読させるのがいいでしょうね。指摘できますから印象に残せるはずです。(教師がまちがっておぼえておれば……どうにもなりませんが)

書籍に総ルビをつけるのがてっとりばやいとは思いますが、出版社がやるでしょうか。わたしが幼いころに読んだ漱石や芥川の作品は勿論、吉川英治の「宮本武蔵」や柴田錬三郎の「猿飛佐助」といった大衆小説も総ルビでした。やれないことはないと思いますがねえ。(たまには、まちがったルビがついていることもありますので注意が必要です)
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2006年09月05日

まさかマギャクとは

Time誌がわれわれをメインストリームと考えているのが不思議ですが(自分たちはその真逆だと感じているのですが)、とにかく
昨年9月のエントリーをひっくり返してみると、「ケータイをデジカメとして使う」という記事があった。このエントリーでの指摘とは間逆に行っているようなのだ。

ほかにもあります。「わたしたちはコトバのプロですから」と公言していたTBSのアナウンサーもマギャクと言っておりました。ラジオ番組のパーソナリティーをつとめていて、昨今のことばづかいに苦言を呈することもある元アナウンサーもそうです。

逆であるということの強調なのでしょうが、なぜ「マ逆」なのでしょうか。「真ん中」(マナカの撥音化)の強調としての「マン真ん中」、関西語では「マァ真ん中」、とか、「まんまる(丸)」(真円から?)からきているのでしょうか。

耳できく場合は、なんとか許容の範囲内なのですが、文字にすると、首をかしげたくなります。上の例にあるように「真逆」と「間逆」の2種類の表記法がみられますが、「間」はごくごく少数派のようです。やはり「真」が適当なように思えます。

ところが、「まさか」を「真逆」とお書きになるかたがおられます。ことに、明治の文豪の書いたものには多くみられます。広辞苑でも、手もとにある第1版と第2版の見出しの下の漢字は「真逆」です。

さあ、どうしましょう。
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2006年09月04日

拝見させていただいて よろしゅうございますか

アナウンサーが街頭にでて道行くひとに声をかけ、そのやりとりが放送されることがよくあります。そういうときに、たびたび耳にするのが「見せてもらっても いいですか」です。

絵画や写真のクローズドな展示会で出展者に声をかけている場面であれば、まだいいのです。それでも「見せていただいて いいでしょうか」「拝見させていただいて よろしゅうございますか」と丁寧に言うべきでしょう。

「見せてもらっても いいですか」ですと、見たいものが鞄のなかのものであれば、土足で家にあがってゆくように、鞄をあけて中のものを勝手に取りだして見てゆくような感じがします。

「見せていただけますか」ですと、了解した持ち主が鞄をあけて見せる、という感じです。

〜してもらってもいいですか、ということばづかいが増殖し蔓延しているような印象をもっております。そのたびに、いわれたひとは気にならないのだろうかと、きいている方が気になります。

傍若無人な取材をしていると、強引なことばづかいになっていることに気がつかなくなってしまうのでしょうかねえ。
ニックネーム torokko at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月03日

あげる やる

イヌにえさをあげる
赤ちゃんにおっぱいをあげる

「あげる」が「やる」よりも丁寧と思っていて、なんでもかんでも「あげる」を使用しているようにみうけられます。イヌに丁寧にいう必要はありませんよ。

イヌにえさを与えるのは「やる」だということは、だれでもわかると思いますが、人間の赤ちゃんですと、ちょっとばかり迷いますね。

このふたつのコトバのつかいわけを簡単に判断できる方法はないものだろうか、と考えておりました。

束になったメモをくっていましたら、記録していた いいアイデアをみつけました。出所は記録しておらなかったので不明です。

「さしあげる」と言いかえて違和感がなければ「あげる」でよい──というものです。

たとえば、「娘に服を買ってあげる」ですと、「娘に服を買ってさしあげる」と言いかえてみます。違和感がありますね。「買ってやる」でいい、ということがわかります。

さきの、赤ちゃんの例ですと、「赤ちゃんにおっぱいをさしあげる」ですと違和感があります。「赤ちゃんにおっぱいをやる」でいいと判断できます。
ニックネーム torokko at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月02日

盛りさげる

《盛りさげてしまってさ》
《盛りさがるようなことするなよ》

ちょいちょい聞くことばです。

雰囲気をこわす、というぐらいの意味なのですね。

《盛りあげる》《盛りあがる》の反対の意味を持つコトバとして使われています。

盛れば うずたかくなるのに、盛って 低くなるのですから矛盾しています。

掘ればさがりますが、《掘りさげる》では意味がことなります。

はじめて耳にしてから数年たっています。《盛りあがる》の対局にある語として《盛りさがる》は、理屈にあわなくても、生き残るコトバになるのではないかと思わせられます。それぐらい のさばっています。

《冷水をかける》《しらけさせる》《雰囲気をこわす》などと どの程度ニューアンスがちがうのでしょうか。わかりません。お教えいただければさいわいです。
ニックネーム torokko at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年09月01日

外食−中食−内食

「All About Japan」のとあるページを見ていてオヤッと思わせられるコトバにであいました。
女性の社会進出に伴って、食事を簡単に済ませたり、外食や中食(なかしょく)に頼る傾向(食料消費支出に占める外部化率)が大きくなっているそうです。
DINKSのためのマネープラン
この、「中食(なかしょく)」にひっかかったのです。

“中食”はチュウジキと読み、意味は“昼ごはん”あるいは“茶会で供される食事”のはずです。(昼ごはんを意味するチュウジキと読む語には、ほかに“昼食”があります)

“中食”でググってみますと、いろいろひっかかってきました。
家庭に浸透する中食(惣菜)文化−賢い主婦が積極活用
好調に推移する中食市場。その背景には、主婦意識の変化と、主婦をターゲットとする商品づくり・コンセプトづくりがある。 (Web, November 2002)

ところで、皆さんは「中食」(なかしょく)という言葉をご存知ですか。
「中食」とは、レストランなどでの食事「外食」と、家庭で素材から調理する手作りの食事「内食」(ないしょく)との中間の調理済食材や惣菜で手軽に済ます食事のことです。
(Web, November 2002)
je海
“内食(ないしょく)”も聞きなれないコトバです。アクセントはおそらく平板型で“内職”とおなじでしょう。辞書にはありません。
中食(なかしょく)とは持ち帰り惣菜のことを指す造語です.決して「ちゅうしょく」と呼んではいけません.怒られます.外食とは違って,出来合の食べ物を外で調達するんだけれども,食べるのが家とか学校とか職場であるものを指すそうです.一方,自炊して家で食べる食事は区別するために内食(うちしょく)と呼ぶそうです.
中食(なかしょく)関連リンク集
こちらでは“内食”は、“ないしょく”ではなく、“うちしょく”とされています。音だけですと“内職”と紛らわしいからでしょう。新しいコトバだけに安定していないのでしょう。
中食(なかしょく)産業とは、外食と家庭での料理の中間にあるものとして、、惣菜や弁当などを買って、家庭で食べるような食品、惣菜や弁当類、調理済みパンなどの製造販売業を指して言われております。
この中食産業は、核家族化、個食化、家庭での料理の簡便化などから、また、外食ほど経費がかからないこともあり、年々市場規模を拡大してきています。平成15年には、推定で約6兆1千億円と、外食産業の4分の1の規模にまで達しています。
財団法人食生活情報サービスセンター
てもとにある紙の辞書には掲載されておりませんでした。
中食 【なかしょく】
外食に対し,惣菜(そうざい)・弁当などを買って帰り,家でする食事
goo 辞書
ちゅう-しょく【中食】>
外食に対し,惣菜(ソウザイ)・弁当などを買って帰り,家でする食事。また,その食品。なかしょく。
(大辞林電子版)
大辞林電子版には「なかしょく」では掲載されておりませんでした。
(決して「ちゅうしょく」と呼んではいけません.怒られます──と「中食(なかしょく)関連リンク集」には書かれておりますが、大辞林電子版では“ちゅうしょく”なのがおもしろい)

どうやら、1990年代に使われはじめたようです。

つかいはじめたご仁、広めたご仁は“チュウジキ”というコトバをご存じでなかったとみえます。

アニメーション・フィルムを意味していた“動画”というコトバが、文字どおりムービー、うごく画像という意味でつかわれはじめて意味の範囲が広がってしまったため、いまでは、もともとの意味での“動画”は“アニメ”といわなければなりません。

同様に、“昼ごはん”を意味する“中食(チュウジキ)”は“チュウショク(昼食)”“昼ごはん”といわなければならないでしょうね。“茶会で供される食事”を意味する“中食(チュウジキ)”はどうなるのでしょうか。

“チュウショク”なのか“なかショク”なのか、はたまた“ナイショク”なのか“うちショク”なのか、はっきりしませんが、新語をつくるなら、耳からはいって紛れる同音異義語に、また、目からはいって紛れるおなじ字をもつコトバに注意をはらうべきでしょうね。
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