航空機事故の犠牲
交通事故の犠牲者
地震の犠牲者
テロの犠牲者
犠牲ということばが使われているのですが、なんの犠牲になったというのでしょうか。報道を見聞きするたび、
テレビ・ラジオや
新聞に頭のなかでつっこんでいました。
いつごろからか、被害者というべきところを犠牲者といういいかたが一般的になってきたようです。
「犠」も「牲」も“いけにえ”という意味だそうです。
(1) 天地・宗廟を祭る時に供える生きた動物。いけにえ。
(2) 供犠のために殺した動物、極く稀には植物(穀物など)。
(3) 或物のために自分の身を顧みないこと。身命を捧げて他のために尽すこと。
これは広辞苑第1版(昭和30年1刷、昭和39年1月12刷)の記述です。
(1) 天地・宗廟を祭る時に供える生きた動物。いけにえ。また、供犠のために殺した動物、極く稀には植物(穀物など)。
(2) 身命を捧げて他のために尽すこと。ある目的を達成するためにそれに伴う損失を顧みないこと。
広辞苑第2版(昭和45年5月)では、文面はかわっていますが、第1版の(1)と(2)があわされて(1)とされ、(3)が(2)になっているだけで意味内容に追加はありません。
1989年11月発行の
日本語大辞典には、意味が追加されています。
(1) 神などに供物としてささげる生き物。いけにえ。
(2) 大事のために、進んで身命その他貴重な物をささげること。
(3) 不測の災難にあって死傷すること。
ようやく、わざわいをうけて死傷、という意味がでてきました。
1994年2月発行の新明解国語辞典第4版では、
〔「犠」も「牲]も「いけにえ」の意〕
(1) ある目的のために、その人の生命や かけがいの無いものを提供すること。
(2)「犠牲者」の略。
とあるのみです。そして、「犠牲者」の意味として、
(1) 何かが成功した陰で、そのために命を失ったり一生を台無しにしたりした人。
(2) 俗に、不測の事故・災難による死者の称。
とあります。日本語大辞典の「不測の災難」にくわえて「不測の事故」で亡くなったひとをも“犠牲者”、略して“犠牲”、と、俗な言いかたとしての意味づけをしています。
いまでは、新明解のいう“俗な言いかた”が
メディアにおいて一般的になっているということなのですね。1989年には「不測の災難」、つまりは地震や火災、津波、台風などだけですが、すでにそのような“犠牲”の使われかたが なされていたということです。そして、1994年までには「不測の事故」の場合も対象になっていたということになります。
しかし、事件や事故で亡くなったひとには“被害者”が適当なことばだと思います。“犠牲者”ですと「あきらめろ」といわれているようで落ちつきません。自然災害の被災者であっても、それが人災といわれるものであるなれば なおさら、“犠牲者”とはいいたくありません。
“犠牲者”ということばですと、「或物のために自分の身を顧みないこと。身命を捧げて他のために尽すこと」(広辞苑第1版)、「大事のために、進んで身命その他貴重な物をささげること」(日本語大辞典)というイメージがつよいためなのでしょうか、きれいすぎるように感じます。
“被害者”ですと、相手が自然現象であってさえ、“加害者”の存在が暗示されていて、「コノヤロー」と怒りをおぼえさせてくれます。
“犠牲(者)”と“被害者”、やはり、使いわけたいものです。