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2006年08月31日

あいづち

ひとの話を聞くとき、うなずいたり、相槌をうったりします。相槌をうつときのことばとしては、「ふんふん」「うんうん」「ほほう」などが使われます。目上のひとに対しては、これらでは失礼だと思うのでしょうか、「はあぁ」「そうなんですか」など、すこしばかり丁寧とおもわれることばにかわります。

《そうなんだ》

これは相手の質問に肯定のこたえをしているわけではありません。“あいづち”のことばです。「そうなんですか」という意味で使われています。仲間うちなら「そうか」というところです。関西ことばでは《そうなんや》というかたちで耳にします。

はじめて聞いたのは川平慈英のサッカー解説でした。それ以後、テレビ・ラジオで聞くことが多くなりました。もとアナウンサーの口からも聞かれました。明石家さんまも言っておりました。

「そうなのか」が変化したものでしょうか。おちつきの悪いことばですが、かなり普及していると思われます。

こういう気もちの悪いことばづかいは、よし(止)にしてもらいたいものです。
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2006年08月30日

「犠牲」って、なんの犠牲なのかね

航空機事故の犠牲
交通事故の犠牲者
地震の犠牲者
テロの犠牲者

犠牲ということばが使われているのですが、なんの犠牲になったというのでしょうか。報道を見聞きするたび、テレビ・ラジオや新聞に頭のなかでつっこんでいました。

いつごろからか、被害者というべきところを犠牲者といういいかたが一般的になってきたようです。

「犠」も「牲」も“いけにえ”という意味だそうです。
(1) 天地・宗廟を祭る時に供える生きた動物。いけにえ。
(2) 供犠のために殺した動物、極く稀には植物(穀物など)。
(3) 或物のために自分の身を顧みないこと。身命を捧げて他のために尽すこと。
これは広辞苑第1版(昭和30年1刷、昭和39年1月12刷)の記述です。

(1) 天地・宗廟を祭る時に供える生きた動物。いけにえ。また、供犠のために殺した動物、極く稀には植物(穀物など)。
(2) 身命を捧げて他のために尽すこと。ある目的を達成するためにそれに伴う損失を顧みないこと。
広辞苑第2版(昭和45年5月)では、文面はかわっていますが、第1版の(1)と(2)があわされて(1)とされ、(3)が(2)になっているだけで意味内容に追加はありません。

1989年11月発行の日本語大辞典には、意味が追加されています。
(1) 神などに供物としてささげる生き物。いけにえ。
(2) 大事のために、進んで身命その他貴重な物をささげること。
(3) 不測の災難にあって死傷すること。
ようやく、わざわいをうけて死傷、という意味がでてきました。

1994年2月発行の新明解国語辞典第4版では、
〔「犠」も「牲]も「いけにえ」の意〕
(1) ある目的のために、その人の生命や かけがいの無いものを提供すること。
(2)「犠牲者」の略。
とあるのみです。そして、「犠牲者」の意味として、
(1) 何かが成功した陰で、そのために命を失ったり一生を台無しにしたりした人。
(2) 俗に、不測の事故・災難による死者の称。
とあります。日本語大辞典の「不測の災難」にくわえて「不測の事故」で亡くなったひとをも“犠牲者”、略して“犠牲”、と、俗な言いかたとしての意味づけをしています。

いまでは、新明解のいう“俗な言いかた”がメディアにおいて一般的になっているということなのですね。1989年には「不測の災難」、つまりは地震や火災、津波、台風などだけですが、すでにそのような“犠牲”の使われかたが なされていたということです。そして、1994年までには「不測の事故」の場合も対象になっていたということになります。

しかし、事件や事故で亡くなったひとには“被害者”が適当なことばだと思います。“犠牲者”ですと「あきらめろ」といわれているようで落ちつきません。自然災害の被災者であっても、それが人災といわれるものであるなれば なおさら、“犠牲者”とはいいたくありません。

“犠牲者”ということばですと、「或物のために自分の身を顧みないこと。身命を捧げて他のために尽すこと」(広辞苑第1版)、「大事のために、進んで身命その他貴重な物をささげること」(日本語大辞典)というイメージがつよいためなのでしょうか、きれいすぎるように感じます。

“被害者”ですと、相手が自然現象であってさえ、“加害者”の存在が暗示されていて、「コノヤロー」と怒りをおぼえさせてくれます。

“犠牲(者)”と“被害者”、やはり、使いわけたいものです。
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2006年08月29日

「 」のつかいかた

新聞でみかけたカギカッコの例です。
「在任期間は今日を含めて、あと9日です」。
下の写真は記事につけられた写真の一部分です。

在任期間ポスター

「田中康夫知事の在任期間は、今日を含めて後9日です。」となっています。


別の例です。
「ご存じですか 自転車マナーアップ運動」
 西宮市内の量販店の自転車売り場に張られたポスターには「傘さし運転 五万円の罰金」のコピー
新聞記事にはこのように書かれていたのですが、カギカッコの中はふたつとも原文どおりではありません。

傘さし運転

写真の一部分を拡大した写真が上のものです。よく見ると、「ご存知ですか?」「傘さし運転:5万円以下の罰金」となっています。


いくら“適正な文字づかいに改めている”といっても、原文どおりでないなればカギカッコはつけない方がいいですね。カギカッコは正確な引用のときのみに使いたいものです。一部をいじるとか、曖昧なときにはカギカッコではなく、別の記号を使いたいものです。

共同通信の「記者ハンドブック第10版」には、
一、会話、語句の引用に「 」『 』 ≠用いる。(後略)
二、列車名、船舶名で「号」「丸」が付かず文中に埋没して読みにくい場合に限り「 」でくくってよいが、原則として「 」は省く。(例を略す)
と書かれています。

「毎日新聞用語集」では、
一、会話などの引用をくくる。(後略)
二、強調させたい語句の区切りに使う。特に次のような名詞は、かぎカッコでくくるのを原則とする。(後略)
三、読みやすさのために使う。(例を略す)
としております。

どちらも“引用”のときに使用するとしています。アレンジしていいかどうかまでは書かれていませんが、引用といえば“原文のまま”と考えるのが普通ではないでしょうか。

実際には、ラジオ・テレビで聞く政治家の発言は、新聞では省略されております。エー、とか、ウーとかいったことばをそのまま書くわけにはいきませんからね。ことばづかいも修正されています。読者も、新聞で見るカギカッコ内のとおりに政治家が発言したとは思っていません。カギカッコ内に書かれているのは発言の主旨だと暗黙のうちに了解しているわけです。新聞はその暗黙の了解のうえにのっかって記事をかいているということです。

わたしの場合は、正確にうつすときにのみ「 」を使用しております。前後を省略はしても、「 」内はもとのままです。もっとも、引用部分だけでは状況が把握しづらいと思われるときには、「のあとの( )内にそのことばにいたるまでの状況を書きこむことがあります。

表現のしかたの記憶が曖昧であったり、要旨を書くときには《 》で囲むことがおおいですね。(それ以外の用途にも《 》を使用していますが、しだらのないことです。正書法の確立がのぞまれます)

カギカッコにかぎらず、符号の使いかた全般を考えてみる必要がありそうです。現時点ではルールがないので、正確にうつすのではないときにはカギカッコをつけない方がいいと思っています。
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2006年08月28日

バイク専用道路は自動二輪用か自転車用か

モーターバイクは、自動二輪車とかオートバイとよばれ(その後輪がふたつになったものがオート三輪)、いまは単にバイクといわれています。

あおりをくって、自転車をバイクとは言いにくくなってしまいました。バイクというと、モーターバイクを思いうかべるようになってしまいます。

米人に「バイクを買ったんだ」と言われたとき、モーターバイクをイメージし、「そのバイクで、ポトマック川の堤防のうえの専用道路を毎日走っているんだ」とつづきを聞かされて「?」となります。自動二輪の専用道路があるのか、と、一瞬考えてしまいます。そこで、ようやく、そうそう、バイクって自転車のことだったんだ、となるのです。

日本の自転車ってかわいそうな存在ですね。チャリンコというこどものスリの別名でよばれています。

2004年3月、ベロタクシーが日本に紹介された当時、「自転車タクシー」と報道されました。おなじような、自転車によってひとを運ぶタクシーが、ことし、「人力タクシー」と報道されました。

自治体の運営している自転車置き場はかたくなに「自転車駐車場」としていることが多いようですが、「駐輪場」が主流になっているようで、看板をよくみかけます。競輪にしろ、駐輪にしろ、自転車を「輪」と略することは好きなようですね。

そのくせ、自転車がベースになっているタクシーを、むかし言われていた「輪タク」という名で呼ぶことはきらわれたようです。そういえば、駅前でみかけることの多かった「自転車預かり所」は「預輪場」とはなりませんでしたね。
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2006年08月27日

読点の位置が悪いために とまどわせられる記事

以前に、読点は意味をとりちがえられないように打つ、ということを書いております。読点の使用法を誤っているがゆえに、原告と被告とをとりちがえそうになる新聞記事がありました。
「キンチョウ」のブランドで殺虫製品を製造販売している「大日本除虫菊」(大阪市)が、特許権を侵害して電池式蚊取り器の製造販売をしているとして、ライバル会社の「アース製薬」(東京都千代田区)が23日、電池式蚊取り器の製造販売の差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こした。(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/16227/

あたまからすなおに読んできますと、「大日本除虫菊」が特許権の侵害でどこかを訴えたんだな、と理解します。ライバル会社の「アース製薬」を訴えたのか、と読んできて、「が」ときます。混乱します。主語をあらわしているとおぼしい「が」がでてくるのが2回目なのが原因です。

新聞記事のパターンにおさまっている記事ですが、途中で読者をとまどわせ、最後まで読んでやっと理解ができる記事です。

さいしょの「が」のうしろの読点がよくないのですね。これをとるだけでも大分すっきりしてきますが、「しているとして、ライバル会社の」の「として」の前に読点をうつともっとすっきりします。

ちょこっと書きなおしてみましょう。

「アース製薬」(東京都千代田区)はライバル会社の「大日本除虫菊」(大阪市)の電池式蚊取り器が特許権を侵害しているとして、同器の製造販売の差し止めを求める訴訟を23日に東京地裁に起こした。大日本除虫菊は「キンチョウ」のブランドで知られている。

おなじ内容を盛りこみ、文をふたつに分けたのに、ちょっとばかり短くなり、分かりやすくなりました。
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2006年08月26日

荒い 荒らす 荒れる

「声をあらげる」というひとが多い。
「声を荒げる」と書くひとも多い。

「荒らげる」を「あらげる」と読んでおぼえたものだろうか。


IM「ことえり」では「あらげる」を変換させると「荒げる」もでてくる。

日本語大辞典には、「あららげる」は「荒くする raise」、「あらげる」は「声などを荒くする raise one's voice」と意味づけられている。

大辞林電子版で「あらげる」を検索すると「あらげる 荒げる」がヒットするが、「⇒あららげる」となっているだけだ。

広辞苑(第1版、第2版)と新明解(4版)では「あらげる」はまったく掲載されていない。ただ、広辞苑第2版には「あららげる」も掲載されておらず、「あららぐ」の項に「口語 あららげる」となっているだけ。


「あれる」は「荒れる」だ。
「あらす」は「荒らす」だ。
それで「荒らげる」を「あらげる」と読んだのであろう。

「あらい」は「荒い」で、「あらあらしい」は「荒々しい」だ。

「荒」は「あ」とも「あら」とも読まれるので、まぎらわしい。

「とめる」「やめる」の「と」「や」の読みだけにし、「とどめる」はカナ書きすることにしてしまった「止」と同様にはいかなかったとみえる。「荒ら荒らしい」とは書きづらいのか。
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2006年08月25日

手術はシジュツと読んでもいいんだって NHK

技術をギジツと、また、手術をシジツとかシジュツなどと発音するひとがいます。

「NHKの「日本語発音アクセント辞典 新版」の巻末に資料集が収録されており、そこに「知っておきたい10の知識“Q&A”」というページがあります。そのひとつがこの問題です。
Q.「手術・技術」などは[シュジュツ・ギジュツ]と表記されていますが、そのとおりに正確に発音しなければなりませんか
という、そのものずばりの質問が掲載されております。
放送では[シジツ・ギジツ]に近く発音することを認めています。
なんと、NHK公認なのです。
ことばの拗音部分を、[シンジュク・シュツジン・ビジュツ・シュクジツ]のように意識してきちんと話そうとすると、発音がかなり難しくなります。
そうかなあ。むずかしいかなあ。
実際には[シンジク・シツジン・ビジツ・シクジツ]に近い発音をするひとが多いようです。
「手術」などは[シュ]と[ジュ]のふたつもの拗音が続き、発音がさらに難しくなっています。実際には[シュジュツ・シュジツ・シジュツ・シジツ]という具合にさまざまな発音が考えられますが、文字で表せない違いも考えれば、各人各様の発音がありそうです。
そこで放送では、[シュ]ヤ[ジュ]をふくむことばの中で特に発音しにくいものについては、[シ][ジ]に近い発音をしてもよいことにしています。
なんとなんと、「近い音」でいい、といっています。

その他、正確な発音をしなくてもよい語として「下宿・野宿・宿題・学習塾・半熟・外出・著述・宿舎・輸出・歳出」があげられています。

そして、「出典」のように「失点」と聞きまちがえる可能性のあるものは認めていない、としています。同様に、「執刀」とまぎらわしい「出頭」、「遺失・異質」とまぎれる「移出」も明確に発音せねばならないとしています。また、シで発音すると意味がつたわらなくなる「傑出」「出品」「出発」も。

シジツと発音される「手術」は「史実」とまぎれないのですかね。

NHKのアナウンサーは、わたしの聞いたかぎりでは、シュはシュ、ジュはジュと発音しています。シ・ジと発音するのは民放のアナウンサーや俳優に多いようにみうけられます。民間放送局や劇団でもNHKと同様の指導をしているのでしょうか。

正確な音でなくてもいい、近い音でいい、とはなんということでしょうか。日本語の音をふやすということと同義です。

フランスの俳優や歌手は正確なフランス語をはなすように訓練され、ことばを大切にするよう努力していると聞きました。

日本では、受信料で運営している放送局が音を曖昧にしてもいいと堂々といっているのです。

受信料を払いたくない気分になります。
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2006年08月24日

立像 立木

立像ということばがあります。坐っている像が坐像であるのに対して、立っている像が立像です。普通はリツゾウですが、観世音菩薩立像とあれば、観世音菩薩リュウゾウと読まれます。美術の世界は不思議でして、著色はチョショクではなく、チャクショクと読まれます。

リュウボクと聞くと“流木”がイメージされます。

地面に根をはっている立っている木のことは、普通は“立ち木”、送りがなの許容では“立木”です。

テレビニュースで、自宅を建てるための材木を、建築主が山にはいって専門家の説明をうけたあとで選択する話が流されておりました。手入れされ間隔をとってはえている立派な杉や檜をさして“リュウボク”といっておりました。流木とまぎれます。目のみえないひとですと混乱するでしょうね。
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2006年08月23日

後ろ足で砂をかける

「それどころか、最後には、後ろ足で砂をぶっかけるようなことをして、徹底的に◯◯のプライドを傷つけたわけだ。」(NIKKEI.BP のコラムより)

「後足で砂をかける」という言いかたはあります。ここでは「後ろ足」と表記されております。「あとあし」ではなく「うしろあし」としか読みようがありません。

「うしろあし」というのは、四つ足動物の「まえあし」でない方──という認識です。両の“まえあし”を地面について“うしろあし”で砂をかいている光景がうかんできます。

「うしろあしで砂をかけるようにして」とおっしゃるご仁は思いのほか多うございます。

歩くときには両の足を交互にまえにだします。あとに残ったあし──これが“あとあし”──で地面をけって前進するのですが、このときに足首にスナップをきかせて地面をけりますと砂がうしろにとびます。別れたばかりの人に砂をかけることになります。

この状況から「あとあしで砂をかける」ということばができたのだと思います。
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2006年08月22日

敬称 〈クン チャン サン〉

「ぼく いま ちひろクン言うたけど 女の子やね ちひろチャンやね 失礼しました」

ラジオ番組のパーソナリティーが聴取者と電話で話していたときのことばです。

せがれをクンづけでよんだあとで娘をもクンづけでよんだとき、娘にしかられたことがあります。《○○クンとちがう。◯◯チャン》だというのです。

参観日などで小学校にいったときに、先生がたが男子にはクンを女子にはチャンをつけているのを見聞して、これでは娘が文句をいうのもしかたがないのかなと思いました。

中学校ではチャンはないでしょうから、クンとサンをつかっているのでしょうか。

男女での使いわけは不要だと思います。

テレビでも、女性アナウンサーが後輩と思われる男性アナウンサーをクンづけでよんでいるところを見ることがあります。

国会では一部例外(議長であった土井たか子さん)をのぞいて、クンづけで会議がすすめられています。慣習だそうです。青年会議所も会議ではクンづけだと聞きます。国会のまねでしょう。

われわれは、年上だろうが年下だろうが、わが子をのぞいて、すべてサンでいいと思います。

おとなの女性がおとなの男性をクンづけでよび、男性が女性をサンづけでよぶという聞きぐるしい現象は、小学校で、もしかしたら幼稚園で習慣づけられていることからおこっていることなのかもしれません。
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2006年08月21日

マ、バ、パ行は一旦クチビルをあわせて発音するのだが

腹話術というのは、人間ポンプが胃壁をコントロールするように、胃をつかって音をだすのだと幼いころは思っていた。腹話術でむずかしいのはマ、バ、パ行の音をだすことだ。一旦とじた口を開いて音をだすのだから、くちびるを動かさないで発音するのは至難のわざだ。

普通、腹話術師は口をかるくひらき、うえの歯をかるく下唇のうちがわにふれている。これだと、そのままマ、バ、パ行の類似音をだせる。

いっこく堂さんはくちびるの隅のところで上と下の唇のあいだに隙間をつくり、そこに舌先をあてがい、それをすばやくずらすことによってマ、バ、パ行の類似音を発音しているようだ。

いっこく堂さんはアメリカでも演技しているようだが、あちらには th の発音があり、これも腹話術師には難関だろう。アメリカの大学で教えていたひとが言っていた。──《ジス イズ ア ペン》《ザ ヒッパレー》といったように、日本人はザ、ジというザ行で代用していることがおおいが、ダ行にした方がいい。アフリカ系アメリカ人はダ行で発音するので、それの方が通じる。──ということなので、多分、ディ、ダ、でやっていなさるのだと思う。

話がそれてしまった。もとにもどす。

普通にしゃべるときにマ、バ、パ行の音をくちびるを一旦とじないで発音なさるご仁がいらっしゃる。うえの歯で下唇にふれて音をだしなさるのだ。

にこやかな笑顔をつくったままだと口唇をとじづらいのだろう。この例は「朝ズバ!」で気象情報を担当している根本美緒さんにみられた。局側の指導によるものだろうか、2カ月あまりのちには、きちんと一旦くちびるをとじて発音するようになった。かわりに、表情がこわばり、笑顔が消えてしまった。いまは随分なれたようで、にこやかな表情をみせながらも、マ、バ、パ行を発声するときには唇をとじている。みのもんたに笑わせられたときなど、たまには、くちびるをとじないで、歯をくちびるに触れて発音しているときもあるので、いまでもご覧になれる。

亡くなったかたなのでもう見ることはできないが、「コメディーお江戸でござる」にでていた杉浦日向子さんもそうだった。「ひぶせ の かみさま と いわれて おりました」「二の午、三の午」「たのしみな日」などを一度も唇をとじることなくしゃべっていたのだ。この番組に出演していた前田吟、風間俊介、桜金造、細川俊之さんらの俳優はきちんと発音していた。きちんとした俳優は訓練をうけているので日本語をきちんとしゃべっている。

日本語の“おと”は時代によって変化してきたそうだが、わざわざ崩すことはない。いまに生きているのだから、いまの“おと”を大切にしたいものだ。
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2006年08月20日

きれる きれない

町議を20年、県議を24年、県議会議長も務めたひとの口から、あらたに市長に選出された人物についての感想がとびだした。

《あのひとはきれないひとだからなぁ》

新市長はちょっとした関係のあるひとだったので、こういう評価がなされているということに驚いた。

あたまが悪いということを言っているのだろうか、「婦系図(おんなけいず)」の新派の芝居版、湯島天神境内での“別れろ、切れろ”の方で、女性関係のことを言っているのか、ほかに“きれる・きれない”に該当することはないか、なにがきれないのだろうか、と考えた。海千山千の元県議会議長のいうことだから女性関係のことではあるまい、してみると、頭脳のことなのか。

しかし、それはわたしの早合点であることが、ほどなく判明した。

そのひとのいう「きれない」とは「あたまがきれる・きれない」のきれないではなかったのだ。

《有権者の、半紙一帖、海苔の1枚、油揚げの1枚でも貰いたいという気持ちに応えること》のできるひとが「きれるひと」ということであった。

あたまのきれる人間ではない、という評価でなくてほっとした。

しかし、「きれないひと」が財布の紐のきれないひとの意味であったことには驚かされた。

有権者はたかり精神にむしばまれているのだ。たかられる側のことばだから信憑性はあろう。これがすすむと“利権のおこぼれ頂戴”ということになるのだろう。この意味での「きれるひと」が市長や議員になるのは困りものだ。
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2006年08月19日

「ぴーかんバディ!」はピー缶のようなからだ?

土曜日の新聞テレビ欄を見るとき、いつも、“ずんどう体形”がうかんでくる番組名が目にはいってきました。先般世間をさわがせた TBS の「ぴーかんバディ!」です。きょうの土曜日からは新聞を見ても目にすることはありませんので、気になることがひとつ減りました。

「ナスコン」ということばがあります。わたしがこのことばを知ったのは会社の伝票でです。印刷色がナスコンという色だったのです。ナスビの紺色をあらわしています。

ピース(50)をご存じでしょうか。ピース(10)でもかまいません。ピース(10)は、セロファンをかけるようになって、色が変わってしまいました。ピース(50)は、缶とふたの加工精度は落ちましたが、色はむかしとおなじです。あ、シガレットのピースです

このピース(50)、いわゆる缶入りピースを「ピー缶」とよんでおりました。ピー缶の色のように、雲ひとつない青い空であることが撮影所用語でピーカンなのです。雲ひとつない上天気を待つことをピーカン待ちといいます。

映画が好きで、自身で8mmや16mmフィルムで映画をつくっていたわたしは、ピーカンと聞くとこのピーカンをおもいます。同時に、ピース(50)のかおりが好きなわたしは、ピーカンというとピース(50)の缶をイメージします。

バディは body でしょうから、ピーカンバディとくれば「ピー缶」のようなからだ、つまり“ずんどうのからだ”がイメージされることになるわけです。

「ぴーかんバディ!」は、おもに女性を対象とした美容健康番組だそうですから、“ずんどう体形”がタイトルになるわけがありません。「ぴーかんバディ!」の本当の意味はなになのでしょうね。気になって、気になって……。

番組のサイトに記述がありました。
【遠藤千鶴子プロデューサーからのひとこと】
タイトルの“ぴーかん”は撮影用語で快晴のこと。今や広辞苑に載るほどメジャーになった言葉で、何の憂いもなくスッキリした、輝いている、というイメージです。
“バディー”はbody(体)とbuddy(相棒)をかけています。
つまり、「健康で美しい体」を目指す人の「相棒」になりたいという願いをこめたタイトルです。
ああそうですか、としか言いようがありません。ピー缶体形、「ずんどうのからだ」をめざすひとの相棒になりたい、というのではなかったのですね。やれやれ。

勝手に解釈してイメージをふくらまして私見をばらまいていたのですね。
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2006年08月18日

祭日はまつりの日

「定休日:日曜、祭日」
と扉や看板などに書かれているのをしばしば みかけます。

本来は「祭日」は文字どおり“お祭の日”でした。神道や皇室の“祭”の日ではなくても、市をあげてのまつりの日には商店や市立学校も休日で、みんなでまつりを楽しんでおりました。ですから、定休日が祭日というのは理解できます。

いまは、まつりの日といえども休むところはまずありません。祭日が休日と表示している店にまつりの日にはいったときに、《きょうはおまつりなんだね。人出は多いの?》などと話しかけておいて、《おもてに祭日は休みって書いているけど営業するの?》なんて聞いてみると、なんのこと? といったような表情をみせてくれます。

「国民の祝日」の一部は“祭”の日でもありますので、混乱してしまったのでしょうか。いまでは“旗日”と同様、祝日の別名のごとき様相を呈しています。

けれども、祝日と祭日の区別はのこしておきたいものです。
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2006年08月17日

じかに→チョク

以前に「即」をとりあげています。それと同様な使われかたの「チョク」をとりあげます。


「(会社にもどらないで)チョク帰ります」
「チョクに言う」

チョクは直とおもわれます。

どうして「じかに帰ります」とか「じかに言う」とか言えないのでしょうね。

「チョク帰ります」は「じかに帰ります」から変化したのだろうと思います。「直行」があるのだから「直帰」もあっていいだろうというところですかねえ。

「直言」と「チョクに言う」とはニュアンスが違うように感じます。「チョクに言う」は、言う相手の立場が言う本人よりも上のものだけではなく、だれにでも使えるようです。

「チョク帰ります」が「直帰します」に変化したのでしょうか。「直帰」もあたらしいことばですね。大辞林には収載されていますが、古い広辞苑や日本語大辞典、新明解には掲載されておりません。

「直」はほかの文字と組み合わせられて語をつくる要素です。単独で音読みで使われると、ぎすぎすして心地わるいことばになります。ことばが変化してゆくのはいいのですが、耳障りなことばをつくることは避けましょうよ。
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2006年08月16日

げんしつ げんち

「言質(ゲンチ)」という語があります。あるマスコミ人がゲンシツとラジオで言っていたものですから調べてみました。

「げんしつ」の見出しがあり、その意味のところに記載されているのは つぎのとおりでした。(「原質」を除く)

   広辞苑:ゲンチの慣用読。
   日本語大辞典:「げんち」の慣用読み。

「慣用読み」であるというのは、普通の読みかた、普段よく使われている読みかた、ということです。各辞書の「慣用」のところに記されている意味からはこうなります。

   大辞林(電子版):⇒げんち(言質)

説明なしに「げんち(言質)をみるように書かれています。

   新明解:「げんち」の読み誤り。

明快に《読み誤り》としています。「げんち」の項では、意味を記述したあとに、《〔「げんしつ」は読み誤り〕》と念がいっています。

共同通信と毎日新聞の用語集、NHKのアクセント辞典には「げんしつ」は掲載されておりません。「げんち」だけです。

いま使用しているIMである「ことえり」が《げんしつ》で変換するのは「原質」だけです。「玄室」は変換辞書にないようです。

収載語彙はすくないながら、新明解がますます好きになります。新版を買おうかなという気にさせてくれます。

──文化庁──〈国語表記の基準 常用漢字表〉にある「質」の読みは、「シツ」「シチ」「チ」のみっつの音読みです。それぞれの読みのうしろに語が例示されているのですが、「チ」の例としてあげられているのが「言質」なのです。

一部の辞書で「慣用読(み)」としている語には、ほかに「漏洩」があるのですが、扱いかたに差があります。「漏洩」は「ろうえい」の方に意味が記載されているのですが、「言質」は「げんち」の方に意味が書かれております。表記のしかたに差をもうけるくらいなら、「慣用読み」以外のいいかたを考えていただきたいものですねえ。
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2006年08月15日

塞翁が馬

「人間万事塞翁が馬」ということばは「塞翁が馬」と略されることもあるようです。

「人間」とくれば「にんげん」と読んでしまいます。事実、ラジオやテレビで耳にするのは「にんげん ばんじ さいおう が うま」です。本当は「じんかん」と読むのですね。《世の中、世間、にんげん世界》を意味しています。

ほかに「人間」を「じんかん」と読むことばに「人間到る処青山有り」があります。

IMでは「じんかん」では「人間」に変換してくれませんでしたよ。

どちらも「にんげん」と読まれることが多いことばですね。

これらのコトバのもとである中国では、おなじ地域であれば「人間」の読みかたは一定です。おなじ字でも読みかたのかわる日本語はむずかしいコトバです。
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2006年08月14日

真珠は鉱物質ではありません

辞書をながめていて、驚愕の説明にであいました。大辞林電子版(2003-02-14)です。
ほう-せき [0] 【宝石
天然の鉱物で,産出量が少なく,硬質で色が美しく光沢に富み,装飾用として珍重されるもの。ダイヤモンド・ルビー・エメラルドサファイア・アレキサンドライト・天然真珠など。貴石。
→宝石[表]

真珠は「玉(たま)」とよばれますが、ここでは「宝石」だと記述されています。

ハイパーテキストになっている「→宝石[表]」をクリックしますと、「鉱物名」「名称」「主な色相」という項目で整理されている表が見られます。その「鉱物名」のところに「真珠」と書かれています。

真珠は鉱物質ではありません。動物質です。

辞書でもまちがっていることがありますが、こうまで念のいったまちがいは記憶にありません。

いま流通している版では修正されていると信じましょう。
ニックネーム torokko at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年08月13日

男優 女優

2年以上前の新聞ですが、
俳優・村上弘明(四七)が6代目の銭形平次を、女優・東ちづるが妻・お静役を演じる。
という文がありました。

「お静を演じる」ではなく「お静役を演じる」としているところにも ひっかかりを感じるのですが、それはおいておきます。今回の話題はジェンダーです。

看護婦・看護士が看護師になりましたし、スチュワード・スチュワーデスがキャビンアテンダント、客室乗務員になりました。

ヒロインをヒーローとスーパーインポーズで表記する映画の予告編もときどき見かけます。これは誤記でしょうね。それとも、発音は麻薬のヘロインとおなじなので使うのをさけるようになったのですかね。

《スーパーヒーローですよ》というから だれのことかと画面を見ると女性であったりすることもあります。いいまちがいかもしれません。でも、スーパーヒロインなんて言わないですね。

それはさておき、女性であることを職業名から抜く方向にあるこの時代に、女性の俳優を「女優」と書き、男性の俳優は「男優」ではなく「俳優」です。使い分ける必要があるとはおもえませんがねえ。

先日のブログで例文としました
俳優・大和田獏(55)&女優・岡江久美子(49)夫妻の長女・大和田美帆(22)が選ばれた。
もそうですね。

だいいち、どうして俳優とか女優とかとわざわざことわるのでしょうか。演じるのが作家であるとか政治家であるとか、演技を仕事にしているのではない人であるならわかります。俳優がなにかを演じるのは当然のことです。職業名をつける必要はないと思いますね。

歌舞伎のように、あるいは、宝塚歌劇のように、俳優が異性を演じることがきまっている場合を別として、男優が女性を演じるとか、女優が男性を演じるとかといった場合に、それを強調するために「男優」「女優」と書くのならわかるのですがねえ。
ニックネーム torokko at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年08月12日

必ずしも

「必ずしも」という語は「必ずしも正しいとはいえない」「必ずしも住基カードをもっているわけではない」などと、あとに否定のことばをつれてきます。

つぎの文はどうでしょうか。一応は否定のことばがくっついています。
現に予備校や専門学校で人気と実績を誇る先生たちは必ずしも教員免許をもっていない。(http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060706/242637/)
なんか落ちつきません。

引用文を用例の「──正しいとはいえない」や「──をもっているわけではない」と比較してみますと、ちがいがみえてきます。用例では「正しい」や「もっている」といったことばがあって、それを否定しているのに対し、引用文では「──をもっていない」とストレートに否定がきているのです。

「必ずしも勝つときまっていない」はいかがでしょうか。「──もっていない」と「──きまっていない」ですから、似たかたちです。けれども「必ずしも勝つときまっていない」には違和感はありません。

「必ずしも勝つときまっていない」は「勝つ」ということばを「きまっていない」と否定しているのに対し、「必ずしも教員免許をもっていない」には否定対象がありません。

いや、あるよ、「もつ」を否定する「ない」がついて「もっていない」だとおっしゃるかもしれません。この考えを適用して「勝つ」を否定して「勝てない」にしますと、「必ずしも勝つときまっていない」は「必ずしも勝てない」になります。しっくりしません。文が中途できれている感じです。


しっくりしない理由がわかりました。わかれば修正も簡単です。
「必ずしも教員免許をもっていない」を
「必ずしも教員免許をもっているわけではない」に
修正すれば落ちつきます。
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2006年08月11日

推敲は欠かせない

追突されたことがあります。そのときの警察の書類には、当事者乙欄に書かれるべきわたしの名前が当事者甲欄に書かれておりました。これではわたしがぶつけたことになってしまいます。加害者と被害者が逆になってしまいます。

つぎの文をお読みください。
この女性はアリゾナ州ぺオリアを運転中、交通警官の制服を着てオートバイでやってきた男に、脇に車を寄せて停車するよう命じた。(ベリタ通信/livedoor NEWS
この記事には、この文の前に、車のトランクにこの女性がとじこめられ、ケータイで911したあと座席を切り裂いて自力で脱出した、という意味のリードがありました。「女性が交通警官に停車を命じ」というところで、なんなのだろう、と興味をそそられます。上の文のあとには、
「この男を知っていますか。確かか。もっと近づいてみてくれ」などと、しつこく要求。女性が運転席の窓から身を乗り出すような格好で、写真を眺めようとした。
 その直後、仲間とみられるもう1人の男が現われ、この男に女性は頭を強打されて、意識を失った。
という文章があります。単車に乗った警官をとめたところが逆に質問され殴られた、ということだし、おまけに仲間らしいのが登場します。どういうことなのか、なぜ、その場所で仲間が待ちかまることができたのか。読んでいて、とまどいます。

ここで「(女性が警官に)停車するよう命じた」が「(女性が警官に)停車するよう命じられた」なのだ、と気がつきました。逆になってしまっているのです。

亀田が天下茶屋小時代に同校で教えた、ある教諭は「4年生までは毎日まじめに学校に来ていました。宿題もするし、友達とも普通に遊んでいました」。(日刊スポーツ /livedoor NEWS)
この書きかたでは、亀田がある教諭を教えたと読めます。逆なのですね。ボクシングの亀田が小学校で教えたというようなことがあるわけないし、そのあとの教諭の発言内容からしても、教えられたのは亀田とわかるのですが、むしろ、文としてはこう読みとる方が自然です。書き手も気がついていたのでしょうか、苦肉の策でしょうね。「教えた」のうしろに読点がおかれています。

むかしの書きかたでは、「儂が館に賊が忍び込んだと申すか」のように、いまなら「わしの」とするところで「儂が」と、「が」を使うことがありました。ここはすなおに「の」にしておけばよかったのです。そうすれば「教えた」のうしろの読点も不要です。


読みなおす、ということは大切ですね。わたしなんかも、読みなおすのですが、推敲した“つもり”になっているだけなのですね。日をおいて読みかえすと“文章が変”なところに気がつくこともたびたびです。
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2006年08月10日

日本語の文中にローマ字など

NHKとかILOとかいったローマ字が日本語の文中にまじっていることは普通になりました。NHKは「日本放送協会」と書いていたと思うのですが、「NHK(日本放送協会)」になり、「NHK」になりました。なじんできた、とみたのでしょう。

たてがきの文章中にもでてきます。たてがきの場合は、そこだけヨコむきにしているときとローマ字までもタテに書いているときとがあります。

よこがき文中ですとひっかからずに読めますが、たてがきの場合は、4〜5文字程度の短いものですといいのですが、普通の単語だったりしますと、タテ・ヨコどちらであろうと読みにくいものです。

書きかたに工夫が必要ですね。

これはいかがでしょうか。
俳優・大和田獏(55)&女優・岡江久美子(49)夫妻の長女・大和田美帆(22)が選ばれた。
「&」が使用されています。通常ですと“なかぐろ”(・)が使われるのでしょうが、この文に「・」を使用しますと「・」だらけになってしまいます。それで「&」を使ったのでしょうが、日本語ではありませんし、固有名詞でもありませんので、使いたくはありませんね。それとも、こういう表記にもなじんでゆくのでしょうか。

やはり、書きかたに工夫が必要ですね。
ニックネーム torokko at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年08月09日

ひゃくようばこ ひゃくようそう

小学生時代、夏休みにも交替で登校し、百葉箱をひらいて気温、湿度、最高温度、最低温度、気圧などを記録させられました。

よろい戸でかこわれ、白く塗られた百葉箱を教師は“ひゃくようばこ”といっておりました。

長じてのち、“ひゃくようそう”といういいかたを知りました。学校で“ひゃくようそう”と教えてもらったかたもいらっしゃるようです。なるほど、ヒャク、ヨウ、ソウ、全部が音読みだな、重箱読みよりも自然だな、と思いました。

ワープロを使用しはじめたのち、“ひゃくようそう”と入力しても変換してくれないのです。“ひゃくようばこ”ですと“百葉箱”に変換してくれました。

広辞苑第1版には“ひゃくようそう”で掲載されております。意味のところには“ひゃくようばこ”と書かれておりますが、見出しにはありません。

広辞苑第2版第4刷(昭和45年11月18日)でもおなじです。送りがなのおくりかたと図が追加されている点に差があるだけです。

日本語大辞典第1刷(1989年11月6日)では、逆でして、“ひゃくようばこ”は掲載されているのですが“ひゃくようそう”は意味のところにも見出しにもありません。

新明解国語辞典第4版第20刷(1994年2月20日)も“ひゃくようばこ”だけです。ただ、意味のところに“ひゃくようそう”が記載されています。

NHK 日本語発音アクセント辞典新版第1刷(1998年4月25日)は“ヒャクヨーバコ”のみを掲載しております。

大辞林電子版(2003-02-14)では、予想どおり、“ひゃくようそう”で検索してもヒットしませんでした。“ひゃくようばこ”の意味のところに記載はされております。

広辞苑第1版より前はどうだったのかを知りたいところですが、小学校時代につかっていた辞書は処分してしまって見ることができません。

“ひゃくようそう”から“ひゃくようばこ”に変わっていったのでしょうね。

Wikipediaで検索してみますと、「百葉箱(ひゃくようそう、ひゃくようばこ)とは」と、“そう”“ばこ”の順で書かれております。

“ひゃくようそう”でググってみることにしました。
気象庁では「百葉箱」というのは「ひゃくようそう」というのが正しかった(最近は「ひゃくようばこ」でもよくなったが、百葉箱自体がなくなった)。
 ──言語学のお散歩──〈「テイめられたシャ」------集団語とは何か 〉
「ひゃくようそう」、などと知っているように言わないで、 これは「ひゃくようばこ」と呼ぶのが正しい。
 ──RED BOOK NIKKOR──〈MACRO Nikkor 12cm F6.3 Spilit of Naturalist〉

それぞれ主張なさっておられます。で、きわめつけ、気象の専門家はどういっているかとさがしますと、
正確には「ひゃくようそう」と読むのが正しいと思います。なぜなら「箱」は「窓」のことだったからです。本来は「百葉窓」で、僕も「ひゃくようそう」と言うようにしています。ただ言葉は変質し、多くの人が使うものが主流になります。やがて、「ひゃくようばこ」と言う人ばかりになるのでしょうね。
ぜひ、自信をもって「ひゃくようそう」と言い続けて下さい。
──森田さんのお天気ですかァ?──〈お天気 Q&A〉


おどろきました。「百葉窓」とは……。
ニックネーム torokko at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年08月08日

わたしの出目から

あるメルマガ
ひょっとして名のある仏師の作であれば、このような長屋の住人がどうして…とあらぬ疑いをかけられ、わしの出目から説明せねばならぬ

という文章がありました。古典落語「井戸の茶碗」を紹介しているものです。

「出目」にひっかかります。金魚ではありませんし、ルーレットをやっているわけでもありません。

どうして「出自」が「出目」になってしまったのかを考えてみました。(ヒマだねえ)

・原本がまちがっていた
ありうることです

・原本から転記するときにまちがった
内容を考えずに文字づらだけを追いかけてキーボードをパンチするのでしょうか。それよりも、この文章は、速記録そのままではなく、あらすじ紹介でありながらも、ときどきは速記録のように詳細まで記しているものなのです。内容は把握しているはずです。「出自」という言葉を知らなかったのだとは思えないのですがねえ。

スキャナーで読みこんだデーターをキャラクターに変換するときの変換ミス
おおありです

最後のが蓋然性がたかそうです。

当初はスキャナーのCCDの画素数が少ないために、ローマ字はともかく、画数の多い漢字を認識するのが苦手であり、また、変換データーを辞書と照合するようにはなっておりませんでしたので誤変換率はたかいものでした。ソフトウェアも進化してきましたが、機械をあてにするにはまだまだ時間がかかりそうですね。
ニックネーム torokko at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年08月07日

◯◯での××

「これまでも大みそかでの試合に断固拒否の姿勢を打ち出してきており http://topics.sports.livedoor.com/article/detail-3644310.html 」という文におちつきの悪さを感じました。

「大みそかでの試合」の部分です。おなじパターンの別のことばにしてみました。

終戦記念日での試合
クリスマスイブでの試合
2月29日での試合
終戦記念日での集会
クリスマスイブでの集会
2月29日での集会

やはり、しっくりしません。

「で」「の」は時をあらわすコトバにもつきますが、「で+の」となるとくっつかないのですね。

《場所+での》だと違和感はありません。

靖国神社での試合
学校での試合
デパートでの試合
靖国神社での集会
学校での集会
デパートでの集会

「で」は文語の「にて」や「ので」の約、と広辞苑に記載されておりましたが、「での」「で+の」は辞書には記載されていませんでした。

また、「で」は場所や時につく助詞だと書かれているのですが、広辞苑と日本語大辞典には場所についた用例しか掲載されておりませんでした。新明解には、時につく例として「今日では、月世界旅行はもはや夢ではなくなった」と「現在では、なんらの疑惑もいだいていない」があげられているのですが、用法がちがいます。

助動詞「だ」の連用形でもないし、接続助詞「て」の変化とも思えません。(すみません。つかいたくなかった「連用形」だの「接続助詞」という語をつかってしまいました)

日本語を学ぶ外国人に説明するのはむずかしいですね。
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2006年08月06日

ねこそぎ

暑いですね。そろそろ墓参りの時期です。雑草も盛大にその葉をのばしていることでしょう。根をはっていることでしょう。

この雑草、根っこから引き抜くことにしているのですが、なかなか抜けません。強いですね。さすが“雑草のように”といわれるわけです。たくましいのですよ。

以前に住んでいた集合住宅では全戸総出で周辺の掃除をしていたのですが、雑草は草刈り器で処理しておりました。根こそぎにしていなかったのです。抜いていると時間がかかりすぎますからね。

メディアでは、草刈り器で刈ったような状態でも「根こそぎ」をつかっているケースがあります。

台風の報道でよく聞きます。

《大木が 根こそぎ なぎ倒されています》
《電柱が 根こそぎに なっています》

根っこが地面に出て木が倒れている映像がうつしだされることもありますが、大抵は地面近くのところで折れている状態なのです。こそがれているわけでも、ましてや、根こそぎにされているわけでもありません。

メディアにはことばを大切にしてもらいたいものです。
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2006年08月05日

漢字の読みを旁から類推するとまちがうことがある

テレビで時代劇をみていたとき、「ぼうはん」ということばがでてきました。織田信長の時代に「防犯」ということばがあったのかという疑問がうかぶ余地はありませんでした。すぐに気がつきました。「むほん」なのですね。台本には「謀反」か「謀叛」という字があったのでしょう。

口腔の「腔」、哄笑の「哄」、撹拌の「撹」(すべてコウです)と同様に、つくり(旁)にひっぱられたのでしょう。部品に「某」があるからボウと読んだのですね。

それにしても、スタッフも沢山いたでしょうに、チェックできなかったのはおかしなことですね。
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2006年08月04日

「国語に関する世論調査」より−5 気になる言いかた

文化庁の平成17年度「国語に関する世論調査」の結果をみて考えてみました。今回はひっかかる言いかたのことをとりあげます。

(1)うそをついてあとで後悔した
  気になる      41.2%
  気にならない    54.4%
  どちらとも言えない   2.7%
  分からない       1.7%

16〜19歳では82.8%が気にならないとしている。
加齢とともに気にならない比率がさがっている。
60歳以上では気にならないが43.4%、気になるが49%で、はじめて逆転している。


(2)早起きして行ったのに、順番を一番最後にされた
  気になる      44.9%
  気にならない    50.5%
  どちらとも言えない   3.0%
  分からない       1.7%

(3)今年の元旦(がんたん)の夜は、みんなで初もうでに行こうよ
  気になる      53.2%
  気にならない    40.8%
  どちらとも言えない   3.1%
  分からない       2.9%

(4)その方法は、従来から行われていたやり方
  気になる      19.6%
  気にならない    74.4%
  どちらとも言えない   3.1%
  分からない       2.8%

(5)美術館建設の候補地として、この村に白羽の矢が当たった
  気になる      58.3%
  気にならない    35.3%
  どちらとも言えない   3.2%
  分からない       3.2%

(3)は単純に意味を知らないだけでしょう。知らないから気にならないといったところでしょう。朝っぱらから「○○さんがクリスマス=イブの街にでています。○○さーん」とテレビ放送で言っているのとおなじですね。


(5) 知らないか、うろおぼえが原因で気にならないのでしょうね。
 ヒヒが若い娘のいる家の屋根に白羽の矢を射たという岩見重太郎のヒヒ退治の話を知っておれば、このような言いかたはしなかったでしょう。たとえ知らなくても、慣用句を知っておればこのような言いかたはしませんよ。うろおぼえで使用するからこういうことになるのですね。まったく知らなければ「この村が選ばれた」とするのではないでしょうか。


(1)(2)(4)は漢語をつかったがために重複表現になってしまったのですね。「あとでくやんだ」「一番うしろにされた」「これまでおこなわれていた」と日本語で表現しておけばよかったのですよ。2番目は「最後尾につかされた」でもいいですがね。

7歳の子がプールで吸水口にすいこまれた事件のとき、ラジオで「きゅうすいこう」と言っておりました。あたまに浮かんだのは「給水口」という文字でして、そのため、なぜ吸い込まれたのかが不思議でした。すぐに「吸水口」だと気がついたのですが、まぎらわしいですね。

「きゅうすいこう」は同音異義語に起因するまちがいなのですが、漢語を使用するときには意味を把握していないと「ウマから落ちて落馬」してしまいます。意味がわからないから気にならないというところではないでしょうか。

漢語を多用したがるのは、漢語をつかうことが偉い、学があるとされた時代の考えかたが尾をひいているのでしょうか。
ニックネーム torokko at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

「国語に関する世論調査」より−4 慣用句──使ういいかた

文化庁の平成17年度「国語に関する世論調査」の結果をみて考えてみました。今回は慣用句についての設問をとりあげます。

(1)周囲のみんなに、明るくにこやかな態度を取ることを
  あいきょうを振りまく  43.9%
  あいそ(う)を振りまく 48.3%
  どちらも使う       5.5%
  分からない        2.3%

(2)激しく怒ることを
  怒り心頭に発する    14.0%
  怒り心頭に達する    74.2%
  どちらも使う       1.8%
  分からない       10.0%

(3)我慢できない思いを
  腹に据えかねる     74.4%
  肝に据えかねる     18.2%
  どちらも使う       2.7%
  分からない        4.7%

(4)はっきりと言わないあいまいな言い方を
  言葉を濁す       66.9%
  口を濁す        27.6%
  どちらも使う       3.1%
  分からない        2.4%

(2)の「分からない」の数字がほかの項目のそれとくらべて突出しています。昨今「怒り心頭に発する」と書いていたり言っていたりするのを見聞きするのは滅多にないことです。「怒り心頭の」とか「怒り心頭だ」とかいったように尻切れとんぼであることが多いですからね。

文字づらから、「発する」は出発点を、「達する」は到達点をイメージしたのではないのかなと思います。そこで、ここまで怒りがとどいているのだということで「怒り心頭に達する」を“選んだ”のではないでしょうか。

整理が大変でしょうが、設問を《下線部分をうめよ。激しく怒ることをなんと言うか。「怒り心頭に   」》として、書きこませるようにすれば「達する」が7割を超えることはなかったのではないかと思います。
ニックネーム torokko at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年08月03日

「国語に関する世論調査」より−3 敬語を使うとき

文化庁の平成17年度「国語に関する世論調査」の結果をみて考えてみました。今回はどういうときに敬語を使うかという設問をとりあげます。
  • 年上の人と話すとき                   82.7%
  • 目上の人と話すとき                   76.4%
  • 知らない人(同年輩又は年齢が上と思われる人)と話すとき 67.2%
  • 尊敬する人と話すとき                  64.8%
  • 相手のことを立てたいとき                45.8%
  • 意識的に改まった感じを出したいとき           40.4%
  • 人間関係を円滑にしたいとき               38.8%
  • ものを頼みたいとき                   33.1%
  • 知らない人(明らかに年齢が下と思われる人)と話すとき  32.3%
  • 有利に話を進めたいとき                 21.7%
  • 上品さを表したいとき                  12.7%
  • よそよそしい感じを表したいとき             10.4%
  • 親しい感じを表したいとき                 8.4%

おそろしいと感じたのは、「よそよそしい感じを表したいとき」と「親しい感じを表したいとき」という正反対の回答があることです。1割強のひとが敬語がよそよそしさを演出すると考え、1割弱のひとが親しさを演出すると感じているのですね。敬語をつかって話しかける場合には、あいてがどちらのタイプのひとかを知っておかなければ、少数とはいえ、誤解を生じさせることになってしまいますよ。

驚かされるのは「尊敬する人と話すとき」に敬語を使用するというひとがが6割5分ぽっちであることです。尊敬するひとと話すときに敬語をつかわずして、いつ敬語をつかうのでしょうね。年齢が自身とおなじと思われる知らないひとと話すときと「目上の人」や「年上の人」と話すときなのですね。この4つは数値がもっとおおきいものであるべきですね。

ま、尊敬するひとが親であるときには敬語はつかわないでしょうがね。設問に不備があるということでしょう。不備といえば「ものを頼みたいとき」というのもそうですね。だれに頼むのかでかわりますものね。「おい、お茶」と細君に頼むとき、「恭大、新聞もってきて」と子に頼むとき、「コピ−3部とっといて」と事務補助者に頼むときなどは敬語はつかいませんもの。回答者が困りますよ。それともこれらは命令なんですかね。
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2006年08月02日

「国語に関する世論調査」より−2 外部の人の前で自分の職場の人を何というか

文化庁の平成17年度「国語に関する世論調査」の結果をみて考えてみました。今回は身内の人間のことを外部の人に対してどう言うかという設問をとりあげます。

(1) 会社の受付の人が外部の人に、自分の会社の鈴木課長のことを話す場合、どういう言い方をするのが良いかを尋ねた。
 「鈴木は…」   40.0%
 「課長の鈴木は…」26.6%
 「鈴木課長は…」 25.1%
 「鈴木さんは…」  4.7%

(2) 学校の先生が生徒の保護者に、同僚の田中先生のことを話す場合、どういう言い方をするのが良いかを尋ねた。
 「田中先生は…」 63.3%
 「田中教諭は…」 21.3%
 「田中は…」    9.3%
 「田中さんは…」  3.4%

(3) 病院の医師が大人の患者に、同僚の木村医師のことを話す場合、どういう言い方をするのが良いかを尋ねた。
 「木村先生は…」 46.9%
 「木村医師は…」 42.2%
 「木村は…」    6.2%
 「木村さんは…」  2.3%

身内のものには敬称をつけないのが常識だ。

(1)では4割のひとがつけないものを選んでいる。

聞かされる立場では、敬称をつけられると、その会社の教育がなってないなという印象をもつ。

職名は敬称がわりに使われることがおおい。昨今、ウマの糞を見ることはほとんどないが、鈴木、佐藤はウマのクソといわれるくらい多い名字だから複数の鈴木サンがいる状況で部長の鈴木やヒラの鈴木ではなく「課長の鈴木は」というのは理解できる。

べらんめえ口調でしゃべるロイ=ジェームスというトルコ人の司会者がテレビ等で活躍していた。このひとは素人のど自慢番組の司会をしていたのだが、ゲスト出演者であるプロ歌手の紹介をするときには〈三波春夫が歌います〉といった具合に呼び捨てであった。かれはある日の番組の終了まぎわに、このことについて視聴者から批判の投書があったことを紹介し、これに答えた。ゲスト歌手は視聴者に対してはわたしの身内だ。身内のものに敬称をつけることはできない、視聴者に対して失礼だ、と。以後もかれは呼び捨てをつづけた。

いまは、テレビのワイド ニュース ショウ番組を見ていてもわかるように、キャスターに敬称をつけている。その人に話しかけるときだけではない。視聴者に話すときにもだ。「きょうから筑紫さんは夏休みです」といったように。「クン」づけで、本人にだけではなく視聴者に対しても、話しているキャスターもいる。「現場に大村君が行っています。大村クーン」といった具合だ。聞き苦しい。

(2) は、教師が、児童や生徒の前だけではなく、保護者に会うときにもジャージーを着用しているといったことと同様、小中学校が、一部の高等学校が非常識のかたまりであることのあらわれのひとつだ。わたしが小中学校に通っていた時代でも、教師は児童や生徒に対して自身のことをいうのに「先生は」という言いかたをしていた。代々、先輩教師をまねてきたのだろう。一朝一夕には改まらないように思う。

(3)の医者のことばづかいは「先生」であり「医師」であるという意識、特権意識のあらわれか。患者とはちがうのだという自負、自尊心、手術のときには金子を当然のごとく受けとる意識と共通のものなのだろう。

ヘソのゴマをとっていたら化膿してしまい、手術したらヘソがなくなった。「おめえ、ヘソねえじゃねえか」といわれたかどうかは知らないが、ヘソがないのは寂しいからと再度手術してヘソをつけてもらった──と永六輔の著書にあったが、こんなにお茶目な舶来の江戸っ子、ロイ=ジェームスをみならいなよ。
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ひとに配偶者をどう言うか

刑事コロンボは「うちのかみさんがね」と言っておりました。「うちのおくさん」と言うひとは案外おおいです。ひとに身内の話をするのに敬称の「さん」をつけることに抵抗はないのでしょうか。

むかし、旗本は「とのさま」とよばれていたということです。ご家人は「旦那」だそうです。細君については、どちらも「おくさま」だったといいます。ひとの細君を「おくさま」「おくさん」と言うのはいいのですが、自身の配偶者を「おくさん」と言っているのをきくのは気色がわるいものです。

配偶者のことをひとに言うときなんと言うか、ということは、むずかしいことです。以前にあるグループで台湾に行ったときに自己紹介をし、となりの妻を「ワイフです」と紹介したのですが、あとで《日本もかわったなあ》と言われました。

結婚して間なしのころに、ひとに対して「つま」とか「家内」とか「にょうぼう」とか言うのも、なんとなくこそばゆく、「サイです」などと言うと気取っているみたいだし、「ワイフです」におちついたのですが、ボーです、とか、タイタイです、とか言っておればよかったのかもしれません。(ボーは台湾語。タイタイはマンダリン)

「うちの家人(かじん)」と言っていたアナウンサーもいましたし、「つれあい」と言うひともいます。「人生の同行者」と言っているひともいらっしゃいました。わたしとおなじように感じているひとでしょう。

女性が配偶者のことをひとに話す場合は、もっと複雑なおもいがあるようです。「主人」や「旦那」や「亭主」は男女同権の時代にあわない、従属しているのではない、と考えるのでしょう。

「ハズ」ということばは最近は耳にしなくなりましたが、「うちの宿六」などということばを使うかたや、「おっとどっこい」などと「夫」をいじくって言うかたもいらっしゃいます。「おっとです」とは言いにくいのでしょう。「つれあい」もときどき耳にします。

「つれあい」は、男女ともに使えるし、いいコトバだなあと思います。もしも結婚したら、「つれあい」を使おうと思います。
ニックネーム torokko at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば

2006年08月01日

Almost Rights Reserved

「無断転載・転用を禁止する」と著作物のどこかに書かれていることが多いですね。著作権を主張しているわけです。

アメリカでは「©」「Copyright」の表示がなければパブリックドメインとみなされて自由に使用できるそうです。そのために表示しているのですね。書いていても無視するご仁もいますがね。

日本では表示をしなくても著作権は成立するのですが、外国には通用しません。インターネットにながすとなりますと、いくら日本語で書いていても、表示がなければ著作権を放棄したものとみなされてしまいます。

書いておいた方がいいでしょうね。

これはいかがでしょうか。
メルマガに掲載されている記事の無断転載・転用はなるべく禁止します。
あるメールマガジンの末尾に書かれていた文言です。

「なるべく禁止」なのですね。勝手に転載してもかまわないということでしょうか。

英語でコピーライトの記述もありました。
Copyright (C)2006 ○○○○ Almost rights reserved.
「All rights」ではなく「Almost rights」になっております。

日本語と英語では意味に差がありますね。メルマガの内容はすべてオリジナルのようです。したがって、どういう意図なのか、判断にくるしみます。
ニックネーム torokko at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ことば
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